秋葉のホコ天が再開した

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私はこの件について、ものすごく身近なところで
ものすごく強烈な体験をした人を知っていて


その人の、心の叫びが、今でも胸に刺さっていて

風化、するかもしれないから、過去に書いた気もするがもう一度書く。



友達の彼が、あの事件で怪我をした。

それで彼女は、あの事件の被害者たちと一緒に
救護用のテントの中にいた。


彼は怪我で済んだが、あの事件では、命を落とした人がいた。

テントの隙間から、たくさんの「一般人」の手が突っ込まれてきて
無造作に、写メを撮り続けていたそうなのだが

亡くなった人の友人らしき人は、もうやめてくれ、撮らないでくれと
泣き叫んでいたそうだ。


彼女は、その話を私に教えてくれてから。

ゆっくり立ち上がり、そして叫んだ。


みんな死ねばいいのに!


私は、その言葉を軽く発する人をあまり良く思っていなかったが
彼女には、その時、その言葉を発する権利がある、と思った。


あの事件を思うと、あの時の彼女の叫びが
未だに、胸に刺さっていることを思い知らされる。



秋葉のホコ天は、何事もなかったかのように再開されたと聞いた。

私はでも、一生彼女の叫びを忘れはしないだろう。

正体見たり、ってやつだなこれ

コメント:

先日、じーさんの弟さんが亡くなった。


じーさんの奥さんも、じーさんの弟さんの奥さんも
苦労をして、早く亡くなってしまったので
じーさんが亡くなった時、弟さんはとても寂しがって

早くあっちにいきたい、と思っているような節があったが
静かに天命を全うする形で、あちら側に行けて
きっと本人は、すごく喜んでいるのだろうなぁなんて妄想をした。


#あ、別にこれは幽霊の話じゃねっすよ。

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愚痴が怖いのか言霊が怖いのか

コメント:

愚痴を言っていた人が、その愚痴通りのことをしていたりするのを見ると
ほんと、人は自身が知っていることしか言えないんだよな、ということを痛感する。

外から見ていると、あれだけ批判していたのに同じことやるの!?

という衝撃があったりするわけですが。


だから、愚痴るにしても、ポジティブな言葉に変換しなければならんと思う。

起きている事象を、違う確度から見つめ直して
良い面を見つけ出し、そっちを「言葉」にしてすり替える。

何かをねじ曲げる行為であるようにも思うが
自分が「同じ」になるとか、怖いじゃないですか。



とは言え、私も他人を悪くいうことはある。
そういう時はでも、大抵確信犯だったりする。


そう、結局人は、自分が知ることしか言えないのだ。


と思う反面で、「無意識な愚痴」が、一番怖いようにも思う。




しかしでは、「改善」したい事柄にぶつかったときはどうすればよいのだろう?

悪いところを言葉にしたら、それに巻き込まれるのだろうか?

そういうところはあるようにも思う。


大体において、他人を説得する時なんていうのは
相手の話をよく聞いて、片付けていっているだけに過ぎない。


しかし相手が「話」をしてくれない場合は?


ここがウイークポイントになっているように思う。


まとまらん。

まとまってませんが忘れぬうちに。

コメント:

今、色々な感情というか、考えなければいけない「感情」についてのことが
あるのだけど、忙しさとかにかまけてどんどん押し流されていく。

なので、忘れてしまわないように、書き留めてみる。あとで、必要に応じ考える。


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友達が死んでいた

コメント:

昨年11/16 友達が大阪で、水死体で発見されました。

後頭部や首に、自力では付けられないような傷があったり
自宅内部が「指紋が検出されないほど綺麗にされていた」など
不審な点が多いのに、自殺として片付けられようとしています。

詳しくは、こちらに掲載の動画を御覧ください。

http://sachan330.exblog.jp/


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同じ町内に住んでいて、幼稚園から中学まで同じ幼稚園~学校で
親の職業が似ていたので、そういった意味でも近く感じていて

学校で、私がトラブルに巻き込まれたりしても
大変だね、とは言うけどそれ以上に態度を変えない

(私が目立つからと言って避けるようなことはしない)

数少ない、友達と言える人。

中学を出てから、連絡はしていなかったが
その友達が、昨年大阪で亡くなっていた。


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