先日の記事の続きのようななにか

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先週まで、3週連続で土曜日出勤だったので
今日は久々に休めると思ったら、
個人で受けている仕事で、クライアントから追加の要望がw

てゆか昨日も大トラブルがあって、帰りが遅かったから
対応は明日にさせてもらうつもり・・・すみませんorz

そんなこんなでばたついており、3日前の記事の続きネタで
何か書こうと思っていたのだけど、忘れてしまいました。

故に、今日は(思い出すまでの間)書いた後のことを書く。だらだらと。


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正直言うと。というか、書いて外に出す時、いつも思うことなのだけど。

なんであんなこと書いたのかなぁ、と。

書いて外の場所に出すことって何か意味があるのかな、と、
書いた直後は(比較的、毎度毎度)思っているのだけど

やっぱ、自分の中に刺さっていた棘を、抜いて外に出す行為、なんだよね。
心の中に重くあった何かは解消されました。すっきり。

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昔、自分の中のチップス的?なものを書くと「食われる」という印象がありました。

すごく不思議で不満だったのだけど、とある人(今は師と仰ぐ人でもある)の
著書に、そういうもんだ(食われるもんだから、大事なことは外に出しちゃダメ)
と書いてあったので、そーいうものなのかと納得いったのですが、

今やってることは、その逆。になるんだな。

自分の中のいらないモノ、捨てたいもの、無くしたいわだかまりとかを
こうやって書くことで、消しさっていく。だから、書く私には意味があるのだ。

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でも、いつもいつも「意味があるのかな」って思うのは、
単に私が、「見られること」「読まれること」を意識しているから、
というだけなんだね。

わざわざ、人目につかないように、別に面白くもないよと
言いながら、それでも、私は読まれることを意識している。

本当は、意味のある情報を発信したい。

本当は、誰かの役に立つ情報を発信したい。

でも、それをやってしまうと、「食われる」。

だから、本当に書きたいことは、書けない。

そういうジレンマが、かなり強くあるのです。

書こうと思って、やっぱ書くとまずい。と思って辞めることは山のようにある。

正直、仮に書いたとしても、どういう風に書けばいいのか、よくわかんないしね。

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しかし。またちょっと話は変わりますが
(絵を描く、ということの話になりますが)
(しかしよく考えると上記の「書けない」話にも通じるところはありますが)

「大切なものを"消費"しなければモノが作れない」
という変な癖?は、どこで作ってしまったものなのだろう。

師匠の話をそのまま鵜呑みにするなら「そういうもの」として
ただ受け止めればいいだけのことなのかもしれないし、

師匠は「自分の中に次々新しいものが入ってくれば
消費したところで、自分は次に行けばいいだけの話」

・・・要するに、今より更に役立つchipsが自分の中で出来上がれば
過去のchipsは、人に伝えて自分の中から無くなって問題なし、

という風に言っていて、そりゃその通りだ。と思うのだけど、

しかし私は、腹の中で(ある意味往生際が悪いとも言うが)

モノを作ることに、何かを書くことにそれは
当てはまらないんじゃないか、違うんじゃないか

と、考えている節がある。

消費するんじゃなくて、相乗効果を生んで
(私の中でも相手の中でも)「増える」ことってないかな、

と、思っていたりする。

少なからず、一対一(或いは一対複数)の「会話」の中でなら
そういう事柄は、日々起きているような気がしている。

それを、不特定多数に発表する形で実現するのは
難しいのかもしれないけど、でも、本当に出来ないのかな?

と、思っていたりするわけです。

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で、実はそれに対しては、良い予感がある。

それが、音楽のことをたらたら書いた記事の最後の
「良い予兆だと良いのだけど」の部分なのだけど、

月をまたいで、また、師匠も(私が気にしていた事柄に対し)
悪いことではなく、むしろ良いことだ、ということを明言していたことで
なんとなく、良い予感だ という 確信に近づきつつあったりする。

が、表面から見るとその予兆の中心に存在するものは、
今にでも周囲の亡者どもに「食われそう」な雰囲気なので

実際は、どうなるのかはわからない。

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話を全く違うものに変えよう。政治の話。

実は今、某政党の公式サイトを請け負う部署にいるので
色々な裏話が入ってきた。良い話も悪い話も、
なるほどーって思うような話もたくさん入ってきた。

色々あるんだなぁ、と思う。


私個人としては「どの政党」が、というのはあまり問題ではなく

意識を持ち政治に挑む人が活躍できる場にスポットライトが当たり、
欲や悪事を働く政治家に対してもきちんとスポットライトが当たり、
そのことにより、真の意味での良い国政、ひいては
世界情勢に影響力を行使するような日本であって欲しい、と思っている。

日本だけが豊かになり鎖国をするのでは勿論ダメだし、
日本が日本として固まらないうちに日本を他国民に明け渡して
日本が持つ文化をなし崩しにしまうのもダメ。

日本の良い文化・良い政治がきちんと確立して、
その上で、世界にも良い影響を与えるようになれば良い。

日本が富むことで、世界の貧困層を救えるようになれば良い。

日本という資源を世界に分配するのではなく
日本が頑張ると世界も頑張れるようにならんといかんと思っている。

で、今回の選挙で、そういう流れに行く可能性が出てきた。

勿論、魑魅魍魎どもが、その流れを我が利益にせんと
虎視眈々と・・・というよりはもっとわかりやすく
がっつり、がっぷり噛みついて行っている様子が日々報道されているわけだがw

しかし良いものも悪いものも存在しての人間界ですので
(良いものだけが良ければそこに行く努力でもすれば良いが、
 ここはあくまで両方が混在する世界であるわけなので)

そういうのもひっくるめて、うまくやっていくしか道は無いのですけどね。

だから、良い方に行くといいなー、と、漠然とでも思い続けるしかないのですけど。

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で、こう書くと、私の「予感」って、政治のことなのか?と思われるかもしれないが、
厳密に言うと、多分ちょっと違う。

私が感じているのは、世の中の人々の動きそのもので、

身近な誰か、という意味ではなく「人」を、感じているのだと思う。

で、人の生活が、政治によって動く側面が多々あるから
そういうのとなんとなく、連動して感じる部分があるのだと思う。


服やファッションに意識がある人が流行を感じ取るのと同じように、
私は多分、人に意識があって、人の行く先をなんとなく感じているのであって、

人をなんとなくでも意識しているから、
誰かに読まれることも、なんとなく意識しているのだろうね。

また、だから私は、人を描いた作品や、政治、情勢を描く
現代美術作家や、音楽家に魅かれるのだろうと思う。

#ムーンライダーズも含めて。

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(今はまだわからないが、多分、私が描きたいのも「人」なのかもしれないね。)

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しかし、今こうやって書いたことで、この(ある意味無駄な)感受性が
食われて無くなったら、もちょっと身軽に何か出来るんじゃないかしらw

とか、期待してみる。

感受性が豊かと言うと聞こえが良いかもしれないが、意外と、
何も考えてなくても流れ込んでくる別の存在、ってのは時に重くて仕方がない。





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現代美術とか書いて、ふと過去すごく気になっていて、
でも日本じゃマイナーで、日本語版の作品集は売っていなくて
洋書ではあったのだけど高くて買えなかった現代美術作家がいた

・・・ということを思い出して調べてみた。


ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg)
作品紹介があるサイト→* * * *

去年亡くなったらしい。

多分、1998年のポップアート展(セゾン美術館)で見たのだと思う。
本、検索したけどやっぱ和書はなくて、洋書(しかも取り寄せ)しかないみたいだ(苦笑

取り敢えず、メモ。

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このページは、qufeiが2009年9月 5日 17:24に書いたブログ記事です。

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