私が色々諦めた理由は、ぶっちゃければ生活のためである。
先日書いたとおり、私は親から逃げるために絵を頑張った。
が、選択した道が悪かったこともあるのだが、
肝心の大学受験時に、死ぬか生きるかってぐらい体調を崩してしまった。
原因は、今になって思えば多分アレルギーだ。
油絵を選んでいたのだが、当時は木炭が主流で
予備校の油絵科の部屋は、そりゃもう大変空気が悪く、
絵を描こうと予備校に行くと、体調を崩してしまうのだ
おまけに体調を崩す私に対して親がストレスをかけるし
しばらく行かないと絵の具は盗まれるしでさらにストレスがたまるしで
体調はさらに悪化する アレルギーとストレスは最悪の組み合わせだ
デザイン科の知人には、何故こちらに来ないのだ?と言われたが
今になって思えば、本当に何故転向しなかったのかと思う
#まあ単純に、油絵が好きだったからなんだけど
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で。
そんなこんなで医者に外出禁止令を食らうぐらいに体調を崩した。
特に春は家から出ると死ぬ思いをしていたから
やっぱりアレルギーだとしか思えないのだが、
当時はその可能性に気がつけなくて、ただ家に閉じこもるしかなかった
だが家に居れば居るで、親に罵られるばかりなので
更に体調を崩し、見かねた医者が
離れて暮らさないと死なすぞ、と親を説得(というか叱咤?)してくれて
車で20分ぐらい離れたアパートを借りてもらい、1人暮らしをすることになった
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1人暮らしをし始めてからは、結構すぐに体調が良くなり
ほどなく、親から家賃を働いて返せと言われ始める
2年近く寝たきりだったのに容赦ないよな、と情けなく思いながら
近所にあった宅配屋で、夜に3時間だけの仕分けのバイトをはじめた
良く考えると、これが初めて親と無関係に
外の社会に出た時だったのだが
世の人はなんとまともなのだ。と、本当にほっとしたものだった
家の中が異常だったことを噛み締める日々だった、とも言えるが
とにかく私は少しずつ、まともな社会の中で体力をつけていった
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その後色々あり、web制作の仕事をするようになったわけだが
ある時、ある事業の立ち上げに参加した際、
営業が金を持ち逃げし、追いかけて行ったはずの
社長も雲隠れをするという事件に巻き込まれた
最終的にはとっ捕まえて最後の給料はふんだくったが
疲労とストレスで、思い切り体調を崩してしまった
38度の熱が数カ月下がらず、仕事を探すどころでなく
仕方がなく、実家に戻ることになった
1人暮らしを始めてから4年、流石に
以前より多少はまともになっているだろうと思いきや
以前以上に当たりは激しく、さっさと働けとしか言われない
見かねた先輩が助けようと家から連れ出してくれたりもしたのだが
これでは休むものも休めないと思い、国立病院に検査入院をすることにした
結論から言うと、脾臓が腫れている以外はすこぶる健康で
脾臓が腫れる理由はわからない、というか
切って細胞を取り出して調べればわかるかもしれないが
仮にわかったとしても今の医学では治せないという
そのことを伝えるため、医者はうちの親を呼んだが
はっきりと腫れた脾臓のレントゲンを目の前にして、
母は医者に 嘘だそんなわけは無い、この娘は
自分のストレスで身体を悪くしているだけで病気なんかないんだ、
みたいなことを喚いて食ってかかりやがった
断っておくが、うちの親は医療従事者である。
正直、大変恥ずかしかった
医者はすごくすごくびっくりしており
私を憐れむような目で見た
私は、お恥ずかしい限りです、と、照れ笑いをするしかなかった
とにかく病院での夜は、とても静かで
たまに、隣にいた、同い年ぐらいのねーさんが
眠れなさそうにしている時に、ちょっと悩みを聞いたりして
たまに、急患を運んでくるらしき救急車の音に
どんな大変な人が来たのだろう、と不安になったりして
地方の国立病院なので、本当に難しい病気の人ばかりで
みんな、家に帰りたいのに帰れずにいるというのに
私は、家に帰りたくないと思っていた
3週間の検査入院で、結局脾臓以外何も見つからなかったが
病院食で太ったぐらいだったので、栄養不足と過労・心労とか
そーいうのが重なっただけだったのだろう、よく眠ることで回復した
その後すぐに、web系の仕事を探して
webサポート業務を含んだコールセンタに派遣出向することになった
母に、何故医者にあんな恥ずかしいことを言ったのだ、と尋ねたら
あんたが病気だと認めたら、私が働かなければならないと言われた
母は、金持ちの娘だった
「医者の娘が働くなんて」「女は勉強しなくてよい」といった
古い考えの親(私の祖母だ)に、自立の道を断たれた母は
親が用意したお見合いで結婚をして、不幸のどん底に落とされた
#父も同じく「二代目」だったのだが、
#先日ちょっとだけ書いた通り、家庭内が崩壊していた
私は母に、幼い頃からずっと 大きくなったら医者になって稼いで
楽をさせてくれるのよね、と言われ続けてきていたのだが
どうやらそれは、本気だったらしい
母にとって、私は一般的な家庭の長男であったようだ
自分に楽をさせてくれるはずの人間が
体調を崩してお荷物になる、という現実を
親として受け止めてはくれなかったわけだ
#長「男」扱い、に関しては他にも色々あるのだがここでは割愛する
#とにかく私が女であることは、母にとっては忌むべきことだったようだ
母が、私のことなんて全然見ていない、ということは、よく理解ができた
尚、私に働け働けと言っていた親は、私が働きはじめてからも尚総攻撃を続けた
こと、私の大切にしていたものは、その間もことごとく壊され続けた
その中でも一番辛かったのは、絵を描くことを全否定されたことだ
変な宗教にはまって、油絵はお金がかかるから
うちを滅ぼそうとする悪霊がお前に絵を描かせたのだとか
そーいう類のことを散々聞かされてのことだった
本当に、本当に辟易とした
大事なことを捨てたいと思わせるだけの負のパワーは
本当に呪いそのもので、半端ないと思う
が、負のパワーを受け続けた私自身も
かなり、強い負のパワーを帯びるようになっていた
#その件については、まあ書く機会があれば書くけど
#とにかく、その負のパワーは私を生き難くするのに十分だった
半年ほどして、少しだけどお金が出来たことや
色々なご縁が重なり、家を出るチャンスが出来た
本来なら絶対に縁を持ちたくなかったのだが
幼い頃に世話になった、母の妹に頭を下げ
保証人になってもらい、家を出た
#私に漫画とかアニメとか絵を描くことを教えてくれた人である。
#が、とあることが原因で、母と大喧嘩をしていたので
#本当は、あまり関わり合いたくなかったが
#血縁であることが条件の保証人を、お願いできる人は他にいなかった
家を出るとき、私は母に頭を下げ、
お願いだから縁を切ってください。
と、言った。
わざわざ隣の部屋に行って大泣きされたが
落ち着いてから何もなかったような顔をして
わかった とだけ言われた
#いや、「だけ」ではなかったのだけど
#その時言ったことは忘れているみたいなので
#私はその部分は無かったこととして捉えている
まあ、プライドの高い人なのだ。
その後も、色々あったことはあったのだが
今は、依存されることはほとんどない。特にお金については。
自分で働くことをきちんと受け入れたのだろう、
60にもなり、今だに仕事や人間関係としっかり闘っている。
それはとても立派なことだし、やろうと思ってなかなか出来ることではない
この歳になってそんな苦労をする羽目に陥ったのは
自己責任かもしれないが、それが彼女の
背負ったものなのだろうと思うので、
敬意は表せど、同情などはしていない
むしろ、他人に依存をすることで、自分のテーマから逃げて
ひどい死に際を迎えず済むであろうことに安堵している
しかし依存されなくなった一番の理由は、恐らくなのだが
私が結婚をして他人のものになったからではないかと思っている
親子の縁は切ってくれなかったけど、
私に依存するようなこともして来なくなった
それは彼女が成長したからなのではなく
私が依存の対象にならなくなったからではないかと
プライドの高い彼女は
他人になった私に依存しないのだろうと
加えて、父が生きるか死ぬかの大きな手術を受けたことをきっかけに
多少、関係性はまともになったように感じる
何故なら、父への愚痴が圧倒的に減ったからだ
死にそうな人(父)にも依存出来なくなったということだろう
依存する相手がいなくなったことで、彼女は安定したように感じる
#但し妹は、母はまだ確執があるようで
#たまに妹から辛い。と相談されたりするんだけど
しかし何より有難いのは、うちの旦那が
こんな親を前にしても何も言わないでいてくれることだ。
というか、感想すら抱かない。良い意味でとても無関心だ。
#曰く、話を聞いてあげるのは全然構わないのだけど、
#ネガティブなことしか言わないんだもん(だから聞いてない)
#ということだ。大変正しい判断だと思う。
あれを前に無関心でいられるってのは、すごいことだと思う。
#声、でかいんすよ。ネガティブな声ってのは大抵、でかいものなのだ。
というわけで、ぜんぜん話を聞いてない旦那のことでも、
親は、そこに居てくれるというだけで大変喜んでくれている。
そんな両親を見て、旦那は孝行をしたと喜んでいる。
喜ばれたから(なにもしてないけど)良いことをしている、と。
そう思えるポジティブさは、それもそれですごいことだと思うが
お互い、幸せそうだから、実際そうなんだろう。
話を聞くってことは、全く重要じゃなくて
ただ居る。存在を否定せずに、ただそこにいる。
それが重要である、ということなのだ。
それはそれとして、ふと思う。
旦那がいなかったら、もしかしたら
今でも依存されていたかもしれないな、と。
仕事だけでは、あるいは勿論、絵だけでも
私は親から逃げられなかったのかもしれないと思うし
今振り返ると、実際全然逃げることは出来ていなかった。
では、それらのことは無駄であったかと言うと全然そんなことはなく、
そうやって突っ走ってきたから今の場所に居ることができて、
旦那とも出会えて、生活もなんとか出来て、旦那に勉強させることも出来ている。
仕事をしていなければ、絵を描いていなければ、趣味を持っていなければ
旦那とは出会えなかったし、旦那と生活をする力も持てなかった。
どれ一つ欠けても、今の自分は無かったと思う。
大切だったものは、親に壊されたかもしれないし、
外の人からして見れば「間違えた」自己判断で
自ら叩き壊してしまったものもたくさんあるけど
それでも後悔はしていないし、
生きるためには必要だった。のだと思うよ。
いや、まだ途中なんだけどさ。
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