(今の私にとっての)学習(と呼ぶべきもの)。

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昨日、久々に(2年ぶりぐらいか?)ある場所に行った。

用事を済ませてすぐ帰るつもりだったが、
会話が弾んでしまい、つい長居をしてしまった。

会話の中で、自分の中では否定的に捉えていたことに対して
脱却の糸口を見つけることが出来たり、

自分自身がどういう強みを持つ人間であるかを
知ることが出来た。それはまた、私の知らない「新しい視点」だった。

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そこには、学ぶべき先人もたくさん集うが、
それと同時に、学ぶべき本も、たくさんある。

そのことは、普段は忘れていて、

というか、

お金無いし借金先に返さないとだし、みたいなのが
先に立ってしまってなかなか思い出せないことなのだが


昨日は、たまたまどうしても、仕事の絡みがあり
それこそ2年ぶりなどで行ったわけなのだが


そこにいらした老女が、服飾デザインで身を立てていらした方で
色の使い方一つへのこだわりなど、興味深いことをたくさん教えて頂いた。

また、躊躇していた諸々の事柄にも、思い切り背中を押して頂いた。

仕事の話だけのつもりが、自分の人生の方向性にかかるような
大きなアドバイスを頂けたのだ。これはもう、ただただ頭が下がるばかり。

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以前は、お金がない時でもたまに行っては

営業妨害だな(苦笑)と、若干感じながらも
本のタイトルを見て、手に取り、中をぱらぱらと見させてもらっていた。

最近は、そこに行く交通費もままならず、疎遠になっていたのだが。


昨日も昨日で、手持ちに1冊を買うだけの自由になるお金があり、

1冊だけ、買って帰ろう。と心に決めてはみたけど

この膨大な本の山からどれを選べば良いかと長々と悩んでいた。
次はいつ来れるか、いつ帰るかわからないしとあれこれ悩んでいたら、

友達が、あまり値の張らない一冊の本を選んでくれた。

それは比較的薄い本で、今朝、会社に行くまでに読破してしまったのだけど
その薄さで、思ってもみなかったような濃度の本であった。

そして、今の自分に全く持って足りないものが、そこにあった。

読んで、わかった気になれるようなそんな簡単なものではなく、
何度も何度も繰り返し読んで、それこそ空で言えるぐらいにまでなって

それではじめて、自分のものになるんだろうな、と思っている。

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学びたいものがある、ってのは、幸せなことだと思う。


世界には、学びたいのに学べない子もたくさんいる。

学ぶことよりは、生活をすることの方が優先になってしまう。

それは、この国でも(私の生活でも)同じことで、

学ぶものがある幸せより前に、ご飯を食べることが出来る幸せがあって、

シャワーを浴びることが出来る幸せ、
仕事があり、賃金を得る機会をいただける幸せ、
家族と一緒に何かが出来る幸せ、
欲しいと思うものを買うことが出来る幸せ、

そういう幸せが、たくさん積み重なり、更にその上の幸せがある。

そういうのを1つずつ噛み締めて、でも、ただ噛み締めるだけじゃなくて

私が、どれだけの力を手に入れたら、誰に何が出来るだろう。

そういうのを、日々考えるわけですよ。


というか、幸せだと、そういうのを忘れがちだから
本を読んで、そういうのの自覚を奮い起すのです。


ただ幸せであれ、というだけではない
一生、というほんのわずかな期間で

何を学び、何を得て、そして、何が出来るのか。

多分それは、一生涯追い続けるテーマなんだろうと思う。

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このブログ記事について

このページは、qufeiが2009年10月22日 00:16に書いたブログ記事です。

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