話を聞いて、それに対して自分の考えを書いてみて気がついた
なんで被害者を悪者にしたいのか。
よーするに、何かが悪かったこと(因果関係)をはっきりさせて
安心したいんだな
よく、犯罪者の不幸な過去とかにみんな食いつくけど
ああ、こんな不幸なことがあったなら仕方がない、と納得したいんだ
それは、自分の中にももしかしたら・・・という思いがあるから
自分とこの人は違う、一線を超えないための参考にしたいという意味もあるんだろう
誰もにある。という大前提を認めたくないんだな
だから過去、私が(法律に対する考え方を)言ったとき、変な反応されたんだな
私は、法律ってのは「法律が無いと(悪いこと・迷惑を掛けることを)
やっちゃう人がいるからある」と思っている
放っておいてもやらないのなら、法律は必要ない 罰則だって必要ない
そこから目を背けて綺麗事を言う人が多すぎる
「あの人がそんなすることが無い」
そう思いたいのは勝手だし、仕方がないことかもしれない
だが「被害者にも悪いところはあったに違いない」につながるのは、やはり糞だと思う
そういうのを解明するのは、警察・検察の人の仕事だろ
冤罪ってのがある。
男は加害者に仕立て上げられることに恐怖したり、
すきを狙う理性的な悪意を棚に上げ 被害者を叩く
性的な行為は、時に愛を伴うことがある。
女は、その性欲を自分に向けられなかったことに嫉妬したり
男の衝動を許すことが母性と勘違いして 被害者を叩く
被害者が、理解されにくい理由ってのは、防衛とか嫉妬とか
母性とか父性の勘違いだったりとか
そんな本能に近い部分にあることなので、なかなか浸透しない
何故なら「そうでなければならない」という精神的な支えが崩壊するからだ
しかしそういう人の多くは「意見をぶつけ合うこと」に慣れていない場合が多い
個人的には、自分を守るために相手を悪く言うヤツほど、糞なものはないと思っている
しかし、そういうのを切り離して客観的に考える訓練、ってのは
幼少児から行わないと出来るようにならないのだ
というか、私だってふとしたことで糞みたいなことを言って後悔することなんてたくさんある
ああ、本当に冷静になれず、自衛に入ってしまい失敗した。と思うことはしょっちゅうだ
だから尚更、自衛こそ正義みたいに言うヤツが許せなくて仕方がない
ってのもあることはあるんだけどさ そういうのに鈍感になると
マジョリティが勝ち。っていう大変硬直化した世界になると思うんだよ
というか、今まさにその状態で、故に色々書いてるんだけどさ
以下は、自分の過去語りになるから読まなくていいです。
が、自分の考えを進めるために書いておく。
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その一方で、
幼い頃の学校には道徳的な時間があり、
色々なことに対して意見を言い合う時間があったように思う
また、うちの親はなにかトラブルがあったときに
必ず、それに対して自分がどう考えるかを言えるようにと
何時間でも、自分の意見を出せるまで考える時間を与えられた
表面的な、ただ許しを乞うためだけの言葉を綴ることは
決して許してくれなかった 意見 を求められた
私は自分の考え をまとめるために、自分の考えを書き出す癖がついた
10歳ぐらいから、中学を卒業するぐらいまでの間は
毎年、1年に10冊以上のノートを埋め尽くすぐらいに自分の全てをただ書きなぐった
その中には、例えば自分の性的な趣向に関することなども含め
また、悪事を働いた時の言い訳なども全て
ほぼ内蔵全ぶちまけ、ってぐらいに本当に何でも書いた 自分の考えをまとめるために
自分の気持を知る、という系統の心理学やテストの本も読みあさった
とにかく「私は本当にそう思っているのか」「嘘偽りはないか、飾っていないか」
それを徹底的に潰して「本音を表現すること」に大変貪欲だった
だがそれは、ある種の自衛でもあった
母が私に押し付ける幻想から逃れる手段でもあった
またその時期は、人の意見や話を聞くことにも、本当に貪欲だった
1時期は、30人ほどの文通相手がいた
同年代、趣味が同じ人から かなり年配の人、まったく好みの違う人まで
男女誰かれ構わずだ 誰にでも、文通してくれませんか!と声をかけた
ネットを初めてすぐもそうだった
あらゆる掲示板、チャットに顔を出し 隙あらばメール交換を申し出る
メールのやり取りだけなら何千人という人とやり取りをしたし
その後、実際に会った人も(オフ会など含め)何百人といる
が、そこまでやるうちに パターンが見えてきてしまった
人の話し方、癖、嘘のつき方、喜ぶポイント
そういうものがある程度見えてきてしまったのだ
特に生活に工夫をすることなく、ただ同じところをぐるぐる廻っている感じだ
それは、私の限界でもあった 私では聞き出せる話が偏る、という事実
そこから、違う世界を見るためには自分を変えるしか無い と思うようになったんだよね
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