ちょっと前の記事で、差別しないのは親の教育かなーとか
書いていたけど、よくよく思い出したらもっとすごい経験をしていた。
私には、親以外に、私をわが子のように思ってくださったご夫婦がいたので
なんでそんな大切なことを忘れていたかといえば
何のことはない、体調が悪かった時期のことは
結構本気で色々と忘れているというだけだ
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というわけで、改めて。
私があまり色々と差別をしない理由をもうひとつ思い出した。
外国人の人が身近だったからだ。
幼い頃、私の命を救ってくれた人は台湾の医者だった。
その人は、末期ガンだった祖母を安らかな顔で送ってくれた。
母は、きっとおばあちゃんがこの人に引き合わせてくれたんだと
信じて疑っていなかったし、もしかしたら本当にそうかもしれない
精神分裂症を患っていた父が脳内出血で倒れた後
20年以上も生きながらえたのもこの先生のお影だろうし
私のことも「親元から離さないと死なせてしまうよ」と
親を説得してくれ、そのお陰で私はハタチを迎えることが出来た
3代に渡って命を救ってくださった、恩人だ。
子どもが居ないご夫婦だったので、
私を子どものように思ってくれていた。
気品がある、礼儀正しいご夫婦であったが
世界的にもとても著名な方々で、
政界や芸能・スポーツ界など様々な人が
その人のもとに救いを求めて訪れた。
その場所では、ある文豪の奥様にお会いしたこともあるし
一緒に砂糖菓子をつついた男性が歌舞伎役者だったこともあるし
当時、大好きだった芸能人の写真も見せてもらった
#蛇足だが、ある人に会ったときは、オーラに当てられて
#なんて自分が何もしていない人間なのかと
#ただただ自分が恥ずかしくなるぐらいのインパクトだった
#それは、中学にもなった頃の話だけど
幼い頃は、何も知らなかったので、その人達が
どんなすごい人だったかなんて全然わからずにいた
勿論、そこで出会ったのは著名な方々だけではない
障害を持った人や、外国籍の人や移住者もたくさんいた
お金持ちも普通の人も、貧困の人もいた
病気だって様々だった。障害を持った人もたくさんいた
しかしその場所では全員が「先生の患者」という
同じ立場で、待ち時間を過ごさせていただいた
あれは、すごく貴重な体験だったのだろうと思う
身体が弱く、幼稚園行事や学校行事には悉く参加出来ず
学校に行けば、まるで戦争のような日々だった私にとって
本を読むこととゲームをすること、
そしてその先生の元に行き、奥様から様々なこと
例えば料理のこととか文化のこととか、外国の話だとか
普段は触れられない様々なことに触れる時間が楽しみだった
礼儀のことも、愚痴を言ってはいけないということも
良く考えたら、全てそこで学んだんだなぁ
親のひどい仕打ちに耐えるように言われ、苦しい思いもしたけど
神さまは、乗り越えられないような試練は与えないよ、と諭された
結果として、私は今生きている。大切な人にも出会えた。
ただ、一番そのことを報告したい人たちは、もうこの世にいない。
そのことだけが寂しいと、たまにすごく思う。
あと50年ぐらいしてアノヨで会ったら絶対に紹介したいと思っている。
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