丁度今、自分が師匠と仰ぐ人のビジネスセミナーのCD聞いていたら
文学とは、その人の追体験が出来るものである。
と言っていた。
言うまでもなく、文学は史実の記録ではない。
文学というのは、完全な空想であることもあるだろうし
史実を元にしたものもあるだろうが、
いずれにせよ「文学」というのは、その人の考え方・感じ方を
追体験することが出来るものであり、
例えば役者であれば、追体験をすることにより役作りをするのだろうし、
例えば私であれば、他人の考え方を学ばせてもらう糧とするだろう。
史実は、新しい証拠が出てくることで塗り替えられるだろうが
文学というのは、あくまで個人的な体験の記録であるので
それは、私にとってある種普遍的なもの、
作者の「瞬間」を切り取ったものである、という認識なのだ。
実は近く、「物語を作る」ということと向かい合おうとしている人と
会うことになっているのだが、私に何の助けが出来るかをずっと考えている。
今回の一件、物語と史実の関係、であるとか
似非科学と科学の切り分け方であるとか
そういうのが自分の中で明確になったことは、
何よりもこの「物語を作る」ということに向かう際に
大変重要な(それでいて私が考えるのを避け続けてしまっていた)
要素であったことに気がついた。
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私は、文学も嫌いであった。その人の気持ちにどっぷり浸かってしまうので。
誰の、どの追体験をするか、ということに対して、私はものすごく慎重であり
それこそ、紹介された文学が原因で喧嘩別れをしたことがあるぐらいに
私にとってこの件は、とても大きなウェイトを占める問題だったのだ。
自分の考えがしっかりしてなかったから、でしかないんだが。
#というより、答えを出せずにうろうろしていたから、というべきか。
なんとなくなんだが、もしかしたら過去に交流を持った女の子の中に
「物語を通じて対話する」という感覚に近いものがあったんじゃないかなぁ、と感じる。
文芸部とか漫研とか演劇部とか、そーいうところ特有のものだったかもしれないが
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現実を完全に否定して、殻に閉じこもってしまった人が
物語を作りたい。と言っている。
現実を知らずに物語を作ることがどういうことか、っていうことや
現実を知って物語をつくると言うことがどういうことか、ってことを
説明することが出来れば、と思っている。
が、それ以前でなんか拒否反応起こされそーな気もしていてどきどきなんだがー。
まあしかし、どうなるのかは、楽しみだ。
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