脳は物語を紡ぎたがる

コメント:

2chのコピペで脳内共同彼女を作ることで正気を保ったフランス兵、

みたいな記事が流通しているが。


私は別に、脳が物語を紡ぐことを否定するつもりはない。


ただ私自身は大抵、自分の中に物語が生まれたときは

その物語に現れた人物と、現実のその人を比較して、再度考えなおしてみる。

そして、自分がどうしてそんな物語を紡いだのかを考える。


#そして同じように、他人が紡いだ物語を思い、
#その人の願望であるとか、何に嘆いての物語であるのかとか
#そういうのを、思い考えるわけで、

#物語を物語として読み解く、ということが出来ない。
#すごい勢いで読みとばす。

#同様に、人の見た目も読みとばす。
#ひたすらに「その人が何を考えているのか」の方にばっかり意識が行くのである。


脳内に紡ぎだされた物語を、大切にしすぎる人とは
私は、付き合い難いと感じている。それも、かなり激しく。


だが、そういう人達が何を見て、何をしようとしているのかについては
付き合い云々とは別のレベル(次元、かもしれない)で考えてみてはいるのだが

人というのは「想念」みたいなもので言葉を紡ぎ出しているから、対話を試みようとすると
私の、ただひたすらに知を追求する概念だと、どうしても色々なものを踏みつけてしまう。


とは言えまあ、営業とかコールセンタいう、人と接する仕事をする上では
自分の知見はそこそこ役に立つので、生きる場所が違う、と割り切ってはいる。

が、私は決して、前面に立って何かをやるってことはありえないだろう。
#あるとしたら営業とか今の本職とか、仕事上での教育ぐらいだろうな。


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ぶっちゃけると、何かの従属物として生きるってのは、
思考しなくて良いから楽なんだよ。

で、そういうのは知的な生活を営もうとする上では、
やっぱなんか、間違えているんだよね。

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このページは、qufeiが2010年2月 4日 12:24に書いたブログ記事です。

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