コツコツタイプが「守る人」であるなら、私は明らかにクラッシャーである(爆
乱暴者と自称するのはそういうところからなのだが、
私は言ってしまうと、自分の能力に限界を感じるのが嫌、というか怖い故に
あちこちにぶつかっていく、という感覚なのだ。
自分の範囲はここまで、ということを認めたくないんだな。
そんなわけはない、もっと上に行けるはずだ、というムズムズ感、違和感が
私に挑戦を続けさせる。
もちろん、逆もある。例えば肉体的な障害がある部分については
ある時を境に、私は絶対に無理をしなくなった。
障害があるのだから無理をしないなんて当たり前だろう、と思えるかもしれないが、
外から見えない障害というのは、他人に理解をして貰うことが難しく
無理解による中傷、無理解による強制を受けることがままあるのだ。
例えば、スキーに誘われる。或いは、ジェットコースターに乗ろうと誘われる。
或いは(まあ、これは滅多にないが)マラソンに誘われるのでも良い。
これらの誘いに対しては、首の奇形が原因でドクターストップされていると
説明しても、なかなか信じてくれない。
で、社長権限とか振り回されて、無理やり連れていかれたりしたのだ、実際。
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別にそのぐらい平気だろう、と言われるんだよね。
正直氏ね、と思う。
どんだけ辛いと思ってるんだ。首に衝撃を与えると1~2日動けなくなるんだぞ。
どんだけ、寿命を縮めているのかもと恐怖する羽目に陥るかわかっているのか。
車でオカマ掘られてムチ打ちにでもなってみろ、あれの究極版みたいなもんなんだぞ。
ムチ打ちなら治るかもしれないけど、私のは一生、治らないんだぞ。
自分の判断で、リスクを承知で飛び込んで行くのならともかく、
他人の無理解で、自分の限界以上を強いられることほど馬鹿らしいことはない。
ましてや、スキーだのジェットコースターだの、生きるのに全然関係ないだろうが。
馬鹿らしくてやってられん。遊びたい人だけで楽しめばいいだろうが。
私だってスキー、好きなんだよ。ジェットコースター大好きなんだよ。
でも、乗れない。乗っちゃいけない。
その悲しみが、悔しさが、お前になんかわかるのか!!!!!
・・・とは、本人に向かっては、言えないんですね、普通に考えて。オトナだから。
だって、一緒に遊ぼうよ、楽しいよ?って言ってそんな恨み事が返ってきたら
びっくりしちゃうでしょ?なので、そこはオトナになるわけです。ならざるを得ない。
#こんなだから私は男性との恋愛のあははうふふとかは、全然興味がない。
#てゆか告白される=あははうふふを楽しみましょうよ、って誘いだったから
#それ故に、全部断っていたというのもある。惨めな思いをするのが嫌だったから。
#私は常に、生涯の友となれる人だけを探し続けていて、
#その結果、旦那をはじめとした様々な人々と、出会いました。
#それ以外の人となんて、がっつり付き合うより軽い感じのほうが
#相手にとっても自分にとっても負担にならずに長続きするもんです。
#「恋愛の延長線上にある結婚」と、「生涯の伴侶」は違うんだよ、
#ってことがわかっていない人は、結構多いよね。
#最初から両方を求めると、多分十中八九失敗するよ?
#私の観測範囲での話ではあるけど。
#互いで互いを尊重し、いつかそうなることはあったとしても、
#最初から100%で、全てが噛み合うのなんて血縁者ぐらいだろう。
#私は生涯の伴侶が男であるか、女であるかとかいうのも
#決めてかからなかったりもしていて、
#結論としては、恋愛は女、伴侶は男だったな、私の場合。
#大半の人はヘテロなんだろうから、まあ私の例はともかくとしてw
#恋愛の延長線上の結婚も生涯の伴侶も、
#どっちもどっちで、良いところも欠点もあるのだから
#自分が真に望んでいるのは、どういう形のものかをまず知らないと、だと思う。
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私は、私を理解せずに無理強いをしてくる相手に対して、恐ろしく攻撃的になれる。
しかし当然ながら、それを我慢して我慢して、なるべく穏便に、平和的に会話を試みる。
そのストレスがある一定ラインを超えると、ある種引きこもり状態になるわけだが、
ま、そのココロは、上記みたいな感じで「氏ね。」の一言で集約されちゃうわけ。
で、その我慢ってのは、あんまりやっていると本当に心が醜くなっちゃうから
理解してくれない人には、近づかないようにしているわけなんだな。
『醜くなりたくない』から。←大事なところなので強調しておく。
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肉体的な障害に関わる面においては、私は「守る人」である。
何を守るのかといったら、私のプライドである。肉体じゃないのだ。
醜くなりたくない。その心が、私自身を守っているのである。
それは、自分の肉体的限界を知り尽くし、嘆き、諦め、到達した域であり
健常者を羨望することすらも、全てを諦めてしまった「なれの果て」の姿であり
醜い心を、これ以上歪めさせて表に出さない為の、苦肉の策である。
これについては、先端医療が私に光を当てでもしない限り、解決されることはないし、
病気ならともかく奇形だからな。期待なんていうのも、はじめから、していない。
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しかし、欠落があるわけでもないのに、どうにかする手段があるのに、
諦めてしまっている人というのが、数多くいる。
その人の心の叫びは、私の肉体的な守りに対するものと、ほぼ同じであろう。
例えば非モテ。
自分の顔を鏡で見たときのこと、気持ち悪がられること、
告白をした時の他人の処遇、様々なことが重なり続けての今の心境であろう。
怒り、嘆き、悲しみ、諦め、そして羨望すら抱かなくなった人も多いだろう。
尤もネットで多く見かけるのは、諦めきれずに羨望、妬みをぶち撒きまくる醜い姿だが。
そういう人は、間違えなく「心の醜さ」が、姿を醜くしていることを理解していない。
私の肉体が、物理的にどうにもならんのは、本当にもうどうにもならない。
しかし、人の心の醜さは、自分の醜さを知ることで、乗り越えることが出来る。
人は、変われる。それは、幾人もの人が、証明していることである。
勿論、乗り越えることも出来ないほどに
取り返しの付かないところに行ってしまう人もいるが
正直、それほどの割合ではないと思う。
逆の例は、山のようにある。
例えば、病気などが原因で、顔などに醜い傷を負ってしまっても
或いは、元々それほど顔がよくなかったとしても、
相手に不快感を与えない人は、間違えなくいる。
勿論、見た目だけで偏見を向けられて心が傷つくことはあっても、
屈しない強さを持つ人が、間違えなくいるのである。
また、例えば、顔や見た目はとても美しくても、
心が醜いが故に、多くの人に敬遠され、見た目だけで崇拝する人が
よりその人の心を醜く高慢に育て上げてしまっていることだってある。
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しかし結局のところ一番怖いのはストレス、って話であって
相手にその心の醜さをぶつけられずにストレスを貯めていると、
自分自身にその殺意が向かってしまうんだよね。
こんな醜い自分は社会の害になる!とか。実際は、きちんと我慢しているのに。
自分の醜さを知らずに外にぶちまけまくる人は、他人を殺そうとする。
他人のせいにする。他人が悪いとする。
そしてこれは、そういった人たちを、客観的に見る人々が、どんだけ嘆いているのか。
という話でもあったりする。
ここは、当事者には思いも寄らぬ所であり、当事者にとっては
他人の気持ちなんてもんは知ったこっちゃない、というのもよくわかるのだが。
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如何様にもなれるのだ。
物理的なものは変わらないかもしれない。
しかし、表情ぐらいであれば、今一瞬にしてでも変えることが出来る。
どんな美しい顔の人でも、何かを妬んでいるときの表情を鏡で見れば、醜いのだ。
どんなブサメンと言われる顔の人でも、清々しい気持ちの時は、清々しい顔をしているのだ。
誰か一人でも、或いは自分自身ででも、心にブレーキをかけることが出来れば
そのための手段にたどり着くことが出来れば、
取り返しがつかなくなることなんていうのは、滅多に、ないはずなのだ。
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・・・と、物理的な話で例えを出したので、非モテも話題にしてみたが、
ここからが、今回書きたかったことの本題(相変わらず前置き長い)
学歴コンプレックスもそのうちの一つかと思うが、
自分は経験がない、学がない、そういうことで
挑戦を辞めてしまう人が、数多くいる。
最初は誰もが初心者!と何度となく言っても、
そのラインを飛び越えられる人と、飛び越えられない人がいる。
失敗を経験して、挫折をバネに出来ない人であるとか
ある程度以上のところまで行って、ポッキリ折れた人とか
或いは最初から興味がなく、向かう気もない人もいるであろう。
3番目については、論外。向かう気がない人はどーもこーもない。
好きこそものの上手なれという言葉があるぐらいに、どーにもならん。
しかし1、2については、出会いで変わる。出会いは、例えば本などの情報、例えば人。
意識をしていないと、目の前に「変わるきっかけとなる鍵」が現れても素通りさせてしまう。
だから、こちらも結局は心がけ、って話になるのだが。
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ただ、思い続けるだけで良い。思い続けるだけで、
そのチャンスが目の前に現れたときに、手を伸ばすことが出来る。
しかし、手を伸ばす勇気が無ければ、届かない。
守る人というのは、この「思う心」と「手を伸ばす勇気」を
歪めてしまったり、諦めてしまったりしていることが少なくない。
他人からは、あなたにはもっと能力がある、と見えていたとしても
あなたにその能力を育む力が無ければ、絶対に芽は出ない。
だから、まずは「自分を過小評価しないこと」だ。
また、勧められて失敗したとしても、勧めた人を恨まないことも大事。
失敗から学べないやつは、やっぱり芽なんて出ないから。
#いや、恨み言ぐらいは言っても良いんだけどw
#他人のせいにして諦めちゃ負けだよ、って話ね。
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自分の中の芽を育めないやつは、やっぱりその程度のやつなんだと思う。
故に、仮に勿体無いと思っていても、誰もそのことを指摘してくれる人なんていない。
しかしあなたの満足と、周囲からの評価がもし、ずれたものであるなら
「興味があるなら」そして「失敗を恐れずに、飛び込む勇気があるなら」
挑んでみれば良い、と思う。
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それはそれとして。
これは、サービス・営業の極意とも言えるが、
例えばクレーマーからの電話。例えば飛び込み営業。
そういったもので、相手に話を聞いて貰うにはどうすれば良いか?
というののヒントが、上記の考え方の先にあるので、
興味があれば、ぜひ考えを掘り下げてみてください。
勿論、答えは教えない♪
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