やりたいことがある場合

コメント:

なんでもいいから目標を持つ」の補足。

お金では解決出来ないやりたいことがある場合。
そしてなんで私が絵の道を選ばなかったかって話でもある。


お金では解決出来ない「やりたいこと」ってのは、
自分の幸せを切り売りする行為であるように感じる。

勿論、やりたいことを選ばない道ってのは「やりたいことをやる」ということを
犠牲にしているわけで、どんな道を選んだって何かを犠牲にするのだが。


しかし「やりたいこと」を貫こうとしたときに何かを犠牲にしてしまった時に
その「失ったもの」を欲してしまうと、多分どっちつかずになって、

中途半端になって、ダメになってしまうような気がします。


例えば私は、これは仕事ではなく生き方の話であるが、
自分の信念を貫く、という「やりたいこと」についてはあまり妥協していない。

そうすると、一部の集団からはハブられるし、結構色々面倒だが
そこを我慢して得られる「幸せ」に、価値を見いだせないのでストレスにはならない。

が、組織に所属する以上はある程度、
どっちかを妥協しなければならん時はある。

そんな時に両方を取ろうとしたら、ひどいぐだぐだである。


経験上、自分に嘘ついて譲歩をすると、結果的に悪い方に行くことが多い。


ぐだぐだな上に結果が悪いのでは、自分の立場が云々よりも
信念を貫いていた方が良いに決まっている。という結論に至ったわけだ。


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私が絵を辞めた理由は簡単で、

絵を描くモチベーションが、「喜ばれることが嬉しかったから」であり
絵は手段でしかなく、目的ではないと気がついたからだ。


そもそも、自分が幸せでないのに、人を幸せに出来るのか?
という自問に対しての答えなんか一瞬で出た。

で、全てを犠牲にして絵を描くことは、自分にとっての幸せか?

勿論、Noだ。




先日、野村監督のボヤキに対して色々言っているTVがあったが

どうやら、自分がやったことに対してぼやく分には脳トレになるらしいが
やらなかったことを後悔すると、脳の老化が促進するらしいので

後悔は、絶対にしないよーにしたいところで

もし同じ後悔を繰り返すのなら、元ネタになった部分を徹底的に分析して
やっつけるなり近づかないなりすると良いと思います。

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このブログ記事について

このページは、qufeiが2010年4月14日 15:51に書いたブログ記事です。

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