今まで「産みの苦しみ」だと思っていたものは、実は産みの苦しみなんかじゃなくて
捨てたいのに捨てられない苦しみなんじゃないかと仮定してみる。
念のため言っておきますが、子どもは産んだ経験がないのでそういう話ではなく
「作品」「成果物」など、創作物の話でございます。
コンテンツは、自分の手を離れたら自分のものではなくなる。
ではそれは誰のものか?
受け取ってくれる全ての人のものである。
その「全て」に対して、何を伝え、どんな共感を引き出そうとしているのか。
広告の手法で言うなら、ここで受け取り手を「全て」としてしまうのは愚策である。
誰か一人に向かって情熱を伝えることの方が、より多くの人の共感を呼ぶからだ。
で。
私が一番苦しいと思う時というのは、その「誰か一人」が
私にとって不快な存在であるということなのだ。
嫌な仕事を、嫌な相手に合わせてやってしまうと
変なクセがついて、似たような人ばっかり寄ってきてしまう。
というか、経験&実績が「それ」しかないのだから、
その匂いにつられる人ばかりが釣れるのは、ある意味当然。
で、私には多分、生きるために仕方無しに身につけてしまった
「それ」を捨てる、というワンクッションが絶対的に必要で、
しかし自力では捨てるに捨てられない。
で、煮詰まることが、ものすごいストレスになる。
だが実際には、そんなものいとも簡単に捨てることが出来る瞬間、
ってのがあるわけですよ。捨てたいんだからある意味当然なんだけど。
それが、旦那の存在、ってわけだ。
だったら、私は旦那に向けて仕事をすればいいんだよ。なーんだ、そういうことか。
・・・しかし
大変気に入らないが、過去にあまり好きじゃなかった
あの上司の言葉は、正しかったんだなぁ・・・
気に入らないので、ここでは書きませんがっ
もちょっと違う言い方ができるようになったら書く。かも。
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