思考を進めてみた。

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今まで「産みの苦しみ」だと思っていたものは、実は産みの苦しみなんかじゃなくて
捨てたいのに捨てられない苦しみなんじゃないかと仮定してみる。


念のため言っておきますが、子どもは産んだ経験がないのでそういう話ではなく
「作品」「成果物」など、創作物の話でございます。


コンテンツは、自分の手を離れたら自分のものではなくなる。

ではそれは誰のものか?

受け取ってくれる全ての人のものである。


その「全て」に対して、何を伝え、どんな共感を引き出そうとしているのか。


広告の手法で言うなら、ここで受け取り手を「全て」としてしまうのは愚策である。
誰か一人に向かって情熱を伝えることの方が、より多くの人の共感を呼ぶからだ。


で。


私が一番苦しいと思う時というのは、その「誰か一人」が
私にとって不快な存在であるということなのだ。

嫌な仕事を、嫌な相手に合わせてやってしまうと
変なクセがついて、似たような人ばっかり寄ってきてしまう。

というか、経験&実績が「それ」しかないのだから、
その匂いにつられる人ばかりが釣れるのは、ある意味当然。


で、私には多分、生きるために仕方無しに身につけてしまった
「それ」を捨てる、というワンクッションが絶対的に必要で、

しかし自力では捨てるに捨てられない。

で、煮詰まることが、ものすごいストレスになる。


だが実際には、そんなものいとも簡単に捨てることが出来る瞬間、
ってのがあるわけですよ。捨てたいんだからある意味当然なんだけど。


それが、旦那の存在、ってわけだ。


だったら、私は旦那に向けて仕事をすればいいんだよ。なーんだ、そういうことか。




・・・しかし

大変気に入らないが、過去にあまり好きじゃなかった
あの上司の言葉は、正しかったんだなぁ・・・


気に入らないので、ここでは書きませんがっ

もちょっと違う言い方ができるようになったら書く。かも。

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このブログ記事について

このページは、qufeiが2010年5月20日 00:01に書いたブログ記事です。

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