すごく良いものができた!と思ったとき、
みてみてーこんなのできたー><
と、言って褒められるのが嬉しいわけですよ。
で、誰が褒めてくれるかと言うと、価値を認めてくれる人なわけですよ。
しかしだね。
別にそれで、稼げるね!とか言われても全然嬉しくないんですよ。
私はそーいうの嫌いなんですよ。
「利用される」
っていうのは、まず親にやられて、失望したわけです。
親に、自分を利用して金をせしめようってことをされて、絶望したわけです。
俺は手を汚さない、お前を利用してやるから俺のところに金を持って来い。
その代わり、お前を養ってやる。
そう言われることに対して、私は殺意抱くわけですよ。
大嫌いなわけですよ。
私が利用されることを拒絶すると、脅迫してくるヤツとかもいたわけですよ。
そんなヤツらは死ねばいいのに。と思うわけですよ。心の底から。
しかし、そんなヤツらのために自分の手を汚すのは、それこそ愚策である。
で、そういうヤツらが自分から離れていったり
そもそもで近づいてこないようにするにはどうすれば良いか。
ってのを、私は必死に考えるわけです。
そういうのは、大変、つまらない。
しかし例えばね。夢を以て自分が開発したゲームを
ゲーム会社に持ち込んだらパクられた、とかあるじゃないですか。
あるんですよ。それはね、もう、つまらないと思おうが何しようが
腐ってるとか言おうが何しようが、もう、どうしようもないんです。
知らなければ、そういう奴らに殺されるんです。
そして、そういうヤツらと闘わなければ、生きていけないのが今の日本。
しかし、こういうのを、資本主義だから仕方ない的に考えてはいけない。
「資本主義」を、wikiで見てみると、こう書いてあります。
社会に貨幣を投下し、投下された貨幣が社会を運動してより
大きな貨幣となって回収される場合、この貨幣が「資本」とよばれる。資本が利潤や剰余価値を生む社会システムのことを「資本主義」という。
資本主義ってのは、社会に対して投資した資本が
「より大きな資本」になって返ってくることを期待するわけですが。
しかしでは「家族」という小単位での社会はどうだろうか?
親が子どもの養育費を「投資」だと思い、
育てたことに対して見返りを求めるような考え方を
家族という社会は、望んでいるだろうか?
違いますよね。多分、多くの人は「違うね」と言うと思う。
社会というのは、人で出来ている。
人は、どうしてお金を使うのか?
自分の生活を維持したり豊かにするためだ。
全ての人が、その為だけにお金を使っている。
国でさえ、国庫を豊かにするためにお金を発行するんだ。
幸せの絶対量を増やすことが目的であり
資本というのは、その為の手段でしかない。
金に使われる社会なんて、滅びてしまえば良い。