2010年5月アーカイブ

ちょー言っても仕方がない愚痴。

コメント:

すごく良いものができた!と思ったとき、

みてみてーこんなのできたー><

と、言って褒められるのが嬉しいわけですよ。

で、誰が褒めてくれるかと言うと、価値を認めてくれる人なわけですよ。

しかしだね。

別にそれで、稼げるね!とか言われても全然嬉しくないんですよ。

私はそーいうの嫌いなんですよ。


「利用される」


っていうのは、まず親にやられて、失望したわけです。

親に、自分を利用して金をせしめようってことをされて、絶望したわけです。

俺は手を汚さない、お前を利用してやるから俺のところに金を持って来い。
その代わり、お前を養ってやる。

そう言われることに対して、私は殺意抱くわけですよ。

大嫌いなわけですよ。

私が利用されることを拒絶すると、脅迫してくるヤツとかもいたわけですよ。

そんなヤツらは死ねばいいのに。と思うわけですよ。心の底から。


しかし、そんなヤツらのために自分の手を汚すのは、それこそ愚策である。


で、そういうヤツらが自分から離れていったり
そもそもで近づいてこないようにするにはどうすれば良いか。

ってのを、私は必死に考えるわけです。


そういうのは、大変、つまらない。


しかし例えばね。夢を以て自分が開発したゲームを
ゲーム会社に持ち込んだらパクられた、とかあるじゃないですか。

あるんですよ。それはね、もう、つまらないと思おうが何しようが
腐ってるとか言おうが何しようが、もう、どうしようもないんです。


知らなければ、そういう奴らに殺されるんです。


そして、そういうヤツらと闘わなければ、生きていけないのが今の日本。

しかし、こういうのを、資本主義だから仕方ない的に考えてはいけない。



「資本主義」を、wikiで見てみると、こう書いてあります。

社会に貨幣を投下し、投下された貨幣が社会を運動してより
大きな貨幣となって回収される場合、この貨幣が「資本」とよばれる。

資本が利潤や剰余価値を生む社会システムのことを「資本主義」という。


資本主義ってのは、社会に対して投資した資本が
「より大きな資本」になって返ってくることを期待するわけですが。


しかしでは「家族」という小単位での社会はどうだろうか?

親が子どもの養育費を「投資」だと思い、
育てたことに対して見返りを求めるような考え方を
家族という社会は、望んでいるだろうか?


違いますよね。多分、多くの人は「違うね」と言うと思う。


社会というのは、人で出来ている。

人は、どうしてお金を使うのか?

自分の生活を維持したり豊かにするためだ。

全ての人が、その為だけにお金を使っている。

国でさえ、国庫を豊かにするためにお金を発行するんだ。


幸せの絶対量を増やすことが目的であり
資本というのは、その為の手段でしかない。

金に使われる社会なんて、滅びてしまえば良い。

形にはこだわらない

コメント:

私は常に「便宜上のやりたいこと」を暫定的に持っている。

それは長期的だったり短期的だったりして

本当に必要であれば嫌でもやらなくちゃならんが
本当に必要でもやらなくて痛い目を見ることもある。

好きなことならさっさと終わらせたりするが、
大事にしすぎてタイミングを逃すこともある。


が、暫定で持っていることには、それなりに意味がある。
そして、それらは私の中では、5年後、10年後、20年後・・・或いは
死ぬ時か死んだ後かってところまで、全部一本の線で結ばれている。


ただ、分岐はたくさんある。

出会った人や情報により選択肢が増えたり減ったり、
場合によっては「更新」されたり、という感じもある。

勿論、予想だにしないことが起こることもある。


しかし、なんていうか自分の中の軸ってのは、ぶれない。

表面的にはものすっごく「変わった」とは思うんだが、ずっと軸はぶれてない。

基本的にはその軸をしっかりしたものに育てることが私の人生の中心で
だがしかし枝葉の部分をどうするかで人生が決まる、みたいな。


でまあ。

文頭に戻るのだけど「便宜上のやりたいこと」ってのがですね。


私のやりたいことってのは、「他人中心」なんですよ。

いや、人以外も含むな。外界に存在するものが中心。


何故なら、私を構成するものが外にあるから。

仕事をするにしても、依頼者が居て、その人に選んでもらっての仕事だし
ごはん食べるにしても、食べるものがあってそれを手に入れることが出来てのごはんだし
服を着るにしても、服があってそれを手に入れることが出来ての服だし

それら、外にあるものを取り込んで、「私」というものは、出来ているわけですよ。


とにかく必ず「他」というものが、私の概念に入っているのだ。


しかし勿論「それを選ぶ自分」というものが抜けることもほぼない。
#たまに見落とすがそれはご愛嬌(ぇ←外に対しても同じだが


だから「外と自分の対話で世界が成り立っている」と言うのが正しい。


・・・いや、実際全ての人がそうであるはずなんだが、

#勿論、みんな黙ってるだけかもしれないけど、あまり聞いたことない。
#結構近親憎悪の気がある人なので、無意識に避けてる可能性はあるが、


私のやりたいことってのは、私一人じゃ絶対に完結しない。

という意識が多分、私は強い方だと感じている。


で、まあ、こんなだから


「便宜上のやりたいこと」しか、設定出来ないんですよ。

どうしてもやりたいことなんていうものは、ない。

そんなものを思う時は「我」が出てる時だもの。


我は、人を不幸にする。自分も他人もだ。だから我っていうのは忌避対象。


我は、私には必要ない。「我」ではなくて「軸」が、私を構成する中心であり、
その「軸の上」にあるものであれば、どんなものでも厭わない。


軸の上にあるもの全てが私のやりたいことなのです。


・・・で、


そうは言ってもその「軸」ってのは人からは見えないので(汗


軸を装飾する枝葉をね。どうするかって考えなければいけないんですよ
軸を理解してもらうためにどうするか、ってことをね。


結構、私の人生はそれ(表現)に対するトライ&エラーの繰り返しだったりします。

一生の仕事を選ぶということ
http://gihyo.jp/lifestyle/serial/01/software_is_beautiful/0001


この記事では、好きなことをやれという結論で、個人的には同意出来ない。

私の場合は、好きなことは誰にも邪魔されたくないので
それを仕事にするとか死んでも有り得ませんw


しかしこの記事を読んですごく腑に落ちたことがある。

「よーするに没頭出来るものならなんでも仕事に出来る」ってこと。


実際私は大変飽きっぽいので、クレーム対応とか天職かと思ったわけですよ。
だって、2年やってても「新手のパターンきたこれwww」って感じで、めっさ楽しかったもん。

しかしアレルギーが悪化して、続けるのが困難になってしまった。
それっていうのは、結果としてあれは天職じゃなかった、ということなのだ。


私の気持ちがどうであれ、「継続出来ない」ならそれは天職じゃないのだ。


#そもそも私はどんな仕事も死ぬほど一生懸命で
#やめる時はどんな理由であっても、切ない。そーいう人なのだ。


で。


私は今の仕事、基本的には好きじゃない。

個々の作業は好きなものも多いが、作業には、嫌いなものも含まれている。

それらを総じて「仕事」として考えたとき、決して「好き」ではないのですよ。
そもそも頼まれたのがきっかけで、自分でやりたいと思って始めたわけでもないし。


だが、どーにもならんほどに「向いている」と思う。好きとかいう次元を通り越して。

どんな困難にぶち当たっても、諦めようとか辞めようとか、思ったことがない。

うわもーむっかつくー絶対乗り越えてやる。とか、
すみません闘い場所間違えました出直します。とか

とにかく、前にしか向いてない。いやむしろ、力不足こそ嬉しく思う。

だって、成長できる余地があるってことだもん。

飽きない。進化し続ける。素敵だ。


だから仕事としては最適だ。
正に「生業」として、ナチュラルに、いつまでも、ずーっとやってられる。

これこそが天職。ってことなんだろう。


-----


天職 というものを考えたとき。


それは「向いているもの」なのか、「好きなこと」なのか、
それとも他の違うパターンなのかはわからないが、一番重要なのは


続け続けることが出来るもの。


なのだ、ということ。


例えば、さっきの体調を崩したというのもそうだけど

薄給だったり、身体がついていかなくなったり、
合わない人が居るってだけで継続出来なくなったり
(どうしても嫌なら他の職場に行けばいいだけなのにそれが出来ない)
向こうから切られちゃったり、職探しをした時に雇ってもらえない
(どんなにやりたくても市場にニーズがなく、また自力で創造も出来ない)ってことは、

それは、続けられないものだからダメなのだ。


ここが、重要なのよ。


絶対に間違えちゃいけないのは、例え向いていようが得意だろうが好きであろうが、

生活が出来なくて継続不能になるなら、それは天職なんかじゃない。

ってこと。


職ってのはさ、自分ひとりで完成しないわけですよ。
買う人がいて売る人がいてはじめて成り立つわけ。

そこを、根本的に間違えてる人は、絶対にダメだと思います。


本当にそれを継続したければ、より稼ぐ手段とか必死に考えるはずで、
それが出来ない・実を結ばないのは、それはもう、天職以前、

「職」として成り立たない。ってことなのだ。


しかし、もし他に同じ仕事で成功者がいるなら、
多分その成功者以上にやり込んでないだけなのだ。

既に市場が出来上がっているなら、先駆者以上に頑張るか
隙間を見つけない限り、「職」には出来ないだろう。


と、考えることが出来るかどうか、なんだよね。

まずは何事に対しても必死に続けようと食らい付く精神がなければ、
何をも天職にすることは出来ないのではないかと思うわけです。


一言でまとめると、


どんな困難にぶち当たっても、乗り越えられるもの。それこそが、天職。


ってことなんじゃないかな。と思いました。

思考を進めてみた。

コメント:

今まで「産みの苦しみ」だと思っていたものは、実は産みの苦しみなんかじゃなくて
捨てたいのに捨てられない苦しみなんじゃないかと仮定してみる。


念のため言っておきますが、子どもは産んだ経験がないのでそういう話ではなく
「作品」「成果物」など、創作物の話でございます。


コンテンツは、自分の手を離れたら自分のものではなくなる。

ではそれは誰のものか?

受け取ってくれる全ての人のものである。


その「全て」に対して、何を伝え、どんな共感を引き出そうとしているのか。


広告の手法で言うなら、ここで受け取り手を「全て」としてしまうのは愚策である。
誰か一人に向かって情熱を伝えることの方が、より多くの人の共感を呼ぶからだ。


で。


私が一番苦しいと思う時というのは、その「誰か一人」が
私にとって不快な存在であるということなのだ。

嫌な仕事を、嫌な相手に合わせてやってしまうと
変なクセがついて、似たような人ばっかり寄ってきてしまう。

というか、経験&実績が「それ」しかないのだから、
その匂いにつられる人ばかりが釣れるのは、ある意味当然。


で、私には多分、生きるために仕方無しに身につけてしまった
「それ」を捨てる、というワンクッションが絶対的に必要で、

しかし自力では捨てるに捨てられない。

で、煮詰まることが、ものすごいストレスになる。


だが実際には、そんなものいとも簡単に捨てることが出来る瞬間、
ってのがあるわけですよ。捨てたいんだからある意味当然なんだけど。


それが、旦那の存在、ってわけだ。


だったら、私は旦那に向けて仕事をすればいいんだよ。なーんだ、そういうことか。




・・・しかし

大変気に入らないが、過去にあまり好きじゃなかった
あの上司の言葉は、正しかったんだなぁ・・・


気に入らないので、ここでは書きませんがっ

もちょっと違う言い方ができるようになったら書く。かも。

破壊活動

コメント:

ちょっといじわるな質問をした。


私:まず前提として、ビジネスを考える上で最優先にすることは客の利益です。

旦那:うん。

私:ではここに、フックになる商品があります。

フック商品というのはあくまできっかけ、フックでしかなく
メインになる商品がないと意味が無いですね?


#「意味がない」ってことを理解していなかったので
#利益のお話を間に挟んだりもしたが、ここについては割愛。


旦那:うん、フックだけじゃダメだね。

私:では、ここにメインとなる商材が2つあります。

1つは、フック商品と全く関係がない商品、もうひとつは
フック商品と相性がよく、一緒に買ってもらうとより引き立つ商品です。

だとすると「フック商品と相性が良い商品」の方が売りやすい。

これは、正しいと思う?

旦那:・・・・(長考)・・・うん。

私:ぶーっ はずれっ


この仮説には「客の利益になるかどうか」が入ってないからNGです。


旦那は、え、でもこの2つだけの範囲で選んだ場合は正しいんじゃ・・・

とか色々ぐだぐだ言っていたが、
「前提が間違えている仮説」なんてものは、全て間違えなのである。

いじわるではあるが、ここはどうしても理解していただかないと困る。


人は、どうしても自分の利益や、自分が売りやすい商品を選びがちだ。
で、どうしてもここの壁が、乗り越えられない。


「全ては客の利益を中心に考えろ、うちがそれを扱えるかどうかは後で考えろ」と
これでもかってほど、口を酸っぱくして言っているのだが、全然身につかない。

どうしたものか。いやほんとに。


ちなみに、もし私が上記の質問で正しい?と聞かれたら、こう答える


2つの商品がどれだけ客に利益をもたらすかを考えて、

同規模、またはフック商材と相性が良い方が圧倒的に客に利益を出すなら、
うちが扱うのはフック商材と相性が良いものの方が売りやすい。

もしフック商材と関係ないものの方が圧倒的に利益を出す場合は
うちが扱うのは関係ない商品の方が売りやすい。


これが模範だとは言わないが、最低限ここまでは言えないとならん。

そもそも、こっちが売りやすくたって客に利益をもたらすものでないなら
客が買うわけがないだろう。どうしてこんな簡単なことがわからんか。


・・・あ、まあ、無理やり押し込む方法もあるがお前にゃ無理だべ。


-----


「取り敢えず目の前にあるもの」にしがみつくのを辞めろ。
それは客やうちに利益をもたらす商品であるかをきちんと見極めろ。


「より良い商品があったらそっちを売る」という妄想を抱くのを辞めろ。
よく見ろ、お前の手元にはそんなものはない。


まず考えなければいけないのは、誰にものを売るか、である。
その次に「何を売るか」が出てくるのである。


そもそも、売り物がある前提でものを考えたいなら、
商品がある会社に就職すれば良いのである。

起業する必要ないし。


でもね、大学を出たわけでも、営業経験もないようなやつが、
そんな売りやすい商品を扱う企業に就職なんか出来る訳ないでしょ。


で、起業をしたからには、あんたが売り物考えないと意味ないでしょ。
私が売るんじゃない、あんたが売るんだから。


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どーもね、考え方が「雇われ」なんだよね。どうしても。

まあ、そういう生き方しかしてこなかったんだから仕方がないが、
その観念は、破壊しないと新しいものが入らない。

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