雑記: 2009年7月アーカイブ

変な夢を見て、唐突に納得した。(ような気になった)

実際は(一方的に私視線でしかないという意味で)
あくまでも「ある側面」からの理解でしかないのだが、
他人の脳内は憶測にしかなり得ず、
過去の他人にほんとのところなんて聞けるはずもないので
まあ、その辺細かいことは考えないこととする。

稀に、面と向かって「お前のことが嫌いだ」と言われることがある。

しかし何故だか、それによって傷つくことはあまりなく、せいぜい、
あーそーですか、しかし私も自分を嫌う人を好きにはならないなぁと思うぐらい。

もっと昔は、嫌われてるなら邪魔せんよう近づかないでおかないとな、
という、ようするにリスク回避ネタぐらいにしか「嫌われる」ということを
受け止めることは無かった。よするになにこいつめんどくせ。である。

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傷つかない理由はいくつかあるが、そのうちのひとつが
「なんか不幸そう」「なんか辛そう」に見えるからだ。

不幸そうで辛そうな人に、お前なんか嫌いだ!と叫ばれても
憐憫の念こそ抱くが、自分が悪いとは思わない。
理由はなく、単純に私はそういう思考回路を持っている。
#それ故に、尚更に嫌われることも自覚している。

「誰かに嫌いだ、と言わなければ自尊心を守ることが出来ないあなたに同情します」

なのだ。私の場合は。

まあ、だからって本人に可哀そう、なんて言う程は平和ボケしていないが
裏でこっそり、この人が幸せになりますように、ぐらいは祈るようにしている。

そして大抵、そういうことを言われる(そういう人と縁がある)のは
自分自身がその人と同じレベルに居るという自戒として
自分に似たような部分はないか、こういう人を招き入れる歪みは無いかと
一人猛反省会をすることにしているのだ。

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蛇足だが、自分に自信があるから嫌われても大丈夫、なのではなく
自分が嫌いな自分を他人に嫌われても全然痛くない、のである。

嫌われるということは、自分に悪いところがあるのであり
それを指摘されることは自分を省みる良い機会、故に
上述のような思考になる。

私は(自分が嫌いな自分を)嫌われても別にどうってことないが、
他者と摩擦を起こすことはめんどくさいし、社会で生きる上ではマイナスだ。

仮に他人の内面に問題があるとしても、
それすらも逆手にとってプラスに変換できるようになった方が
何かとお得じゃないですか。みたいな考え。

#で、そういう考えが出来る自分は結構好きなんだよねw

ついでに、なんで嫌いとか言う相手の幸せを祈れるかというと、
その人が幸せだったら、嫌いとか言われずに済むからデスヨ。

嫌な思いはしたくないじゃん。当たり前だけど。
自分が嫌いな自分と常に向き合うなんて、有り得ないですよ。

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