雑記: 2010年3月アーカイブ

酒飲みって役に立つことあったんだな。

コメント:

ビジネスを、その位置から見ることが出来る人が友達になってくれたことを、
心より神に感謝しますw


さて、今日は一緒に組んでいるおっちゃんのやろうとしているビジネスと、
「似ているけどちょっと違うこと」をやる店舗が出来ていたのを発見したので、
早速偵察を兼ねて、世間話をしに行って参りました。

勿論客も兼ねてですが、しかし自分の立場は示しつつ、

で、お仕事視点で何なんですが、実際のところこんな立地条件に店舗構えるって
どうなんすかね?とか、客の傾向や動きなどの、確信ついたお話もして参りました。

収穫は多かった。

あくまでも、世間話としてね。


そして思った。


これは、確かに「特殊能力」だわ。こういう会話はそう簡単には出来ないかもしれん。
しかもこの調子で「ここだけの話だけどね」ってことを教えてもらうこともよくあるのだ。


私がなんで「お前口だけで渡り歩いてきただろ」とか
悪意を持って罵られたりするのかが、なんとなくわかりました。

ついで言うと、あんたばっかずるい、ってのもよく言われる。
そんなこと言われたってなぁ。



相手の言語で話をする

コメント:

人ってのは、自分の脳みそが把握した範囲のものしか認識・理解が出来ないので
自分の意見を相手に伝えるのに一番手っ取り早い方法は、

相手が見えている世界を想定して、その範囲で言葉を選ぶことである。


#で、そうすると単語とか言い回しがなかなか見つからなくて
#ちょーぜつ悩むことが大変多いわけですがっ


あまり範囲が広くなさそうな人に、自分のことを話そうとするときは
すごく言葉を選ぶ。そして、その範囲外のことをたまに織り交ぜると

やっぱり?って顔をされる。しかしその?を、どのように解釈するかを見ると
その人の本音が見えてくるので、相手を知るためにもそういう言葉を使う。


逆言うとね、相手が自分の知らない言葉を使ったときに、
私が直感でどんな解釈をするのか、ってのが結構イタイ。

相手の性格とか考慮するとそういう意味じゃないよな、
って「理性」ではわかっているのだけど、直感が変な答えを出す。


私はそのことに気付けるだけマシなんだが。


「違和感」に気づいた時が、他人に対して好奇心を抱いた時。



他人に対して興味を持たないということは、相手がいなことに等しい。



そして、自分が直感するものの正体を暴くことで、
自分が何と向き合っているのかを知ることが出来る。

その人の「愛」のカタチ

コメント:

ある女性、カナダに帰化した元日本人のレズビアンの人に、
猫の絵を見せたときの感想は、こういうものだった。

現物のデータはどっかいっちゃいましたが
猫が自分の背中を毛繕いしているところの絵です。


この、届かないところを一生懸命毛繕おうとする姿は
あんたそのものだね

愛の形ってのは、みんな一緒でね、
あんたがこうやって、届かないところを一生懸命どーにかしようとする姿は

人に対しても、仕事に対しても、道に落ちている石ころに対しても
一緒なんだろうと思うよ。その人の愛の形ってのは、何に対しても変わらない。


それから、首の骨ってのは、その人の人と成り、そのものの形をしているんだよ


私の首の骨が奇形であることなんて、この人に言ったっけなぁ、と思ったが
そのことを指されて言われているんだってことはわかった。



プライド

コメント:

私が読んで不快がられるだろーことを敢えて書くのはさ。


勿論、自分のために書いてるから他人のことなんて知るか、ってのもあるんだけど
そもそもで、理由つけて不快なものを叩きのめしたいだけの人の八つ当たりとか
食らってやる気もないから、こっちくるんじゃね、って忌避しているって話でもあるのよね。


例えば、私の性癖とか、節操のない自慰ネタの守備の広さを差して
「変態」って言われたら、そりゃどちらかと言うと褒め言葉なわけですよ。

私は、そーいう自分が嫌いじゃないからね。

無節操であるわけじゃないから、それをわからん人のことなんてぶっちゃけどーでもいい。


むしろ、お前にゃ真似しようとしたって出来まいよ。

知り得ない世界を見聞きすることもせず、ただ攻撃するしか出来ないって
どんだけあなたののーみそはお花畑なのですか。と。

言ったところで下手すりゃ中傷されたとかわめき散らすだろ?
あーいう人たちは自分がなにやってるのかなんて、わかっちゃいないんだ。


葛藤して、その思いをぶつけてくるよーな、そんな素敵な人以外とは
私は会話なんてしたくありません。

或いは、そんな思いも吹っ飛ばすような、笑いを提供してくれるとかね?


だって、有意義に生きていたいじゃないですか。


でまあ、こういう言い訳めいたことをぐだぐだ言うのはさ。

どうせ届けたい人に届かないんだったら、愚痴ぐらい言わせろや。

という感じだったりもするのよね。


まあ、要は酔っぱらいみたいなもんなんです。

脳内分泌物に酔っている状態ですわな。


絡むの嫌だから一人で酔っ払ってたいってのは
譲れないところにあるプライドなんだな。

どんな幻想。

コメント:

リアルに子ども見たことある人なら知ってると思うが
子どもは結構普通にアダルトなコンテンツが大好きであるし

そういうのに興味持てない方が余程不健全。

勿論羞恥心とかあると思うが、その羞恥心はどこから生まれたか?

「教育」である。


好奇心から何気に手を伸ばそうとしたアダルトなものに
手を伸ばそうとした瞬間に「はしたない!」と叱られ
やり場の無い思いをした経験はないだろうか。

そうやって、子どもたちは性的なものを「忌むもの」としていくが
私は未だに「大人が怒るから」「趣向が合わない人が不快がる」以外の理由で、
性的コンテンツを悪者にする理由が思いつきません。


子どもは、母親のお乳をつかんで育つ。
抱かれ、撫でられ、キスをされて育つ。

そういった健全なスキンシップの延長線上に
セックスというものだって、存在していると思う。

故に、子どもが性的なものに興味を抱かない方が、余程不健全に思うのだ。

#「えっちなのはだめなんだよー」とか言うのはまた別ね。
#あれも、教育で、それこそ健全な羞恥心。

#そじゃなくて、ダンマリになっちゃうパターン。
#逃げるというか、避けちゃうパターンのことね。

そんなことがあるとしたら、虐待でも受けているんじゃないかとか、
ヒステリックな大人に抑圧されているんじゃないかって疑ってしまう。


勿論、子どもたちは知識がない時点では性について何もわかっていない。

だから、興味を持ったときに、それが変な方に行かないよう、

変な方ってのは決して性癖がどういう形かとかいう話ではなく
「誰か」を、「自分」を傷つけてしまわないように、

性について「教える」或いは「考える」必要があるのだと思う。


それが「性教育」ってもんじゃないのだろうか。


-----


話を「幻想」という部分に戻そう。


子どもの頃、男どもがスカートめくりしたり
猥褻な言葉をわめき散らしたりする光景は、
当たり前ではなかっただろうか?

確かに、ああいうのは女のこっちとしては大変不愉快だ。それは間違えない。


だが、相手が不快に思うことをやってはいけません。というのも
立派な「性教育」の一環ではなかろうか?

案外ね、そういったベーシックなことすら
教育をすっ飛ばされていたような気がしてならねんだよな。

子ども同士のことだから、みたいな感じでさ。


そういうところでしっかり「教育」をせずに
「はしたない」という言葉で自然な欲求を

ただ切り捨ててしまうのはどうなの。と思うのよ。


それって普通に、ものすんごく傷つかね?


そうやって置いていかれた子どもたちの心、

例えば、そういうのを見て、大人の顔色をうかがうようになり
自分の素直な感情を露見出来なくなったりすることとか、


振り返ったとき。自分らが子どもだった頃に、

そうやって、私らは感情を殺して来やしなかっただろうか?


私は嫌だった。そういうのっておかしいと思った。

そうやって、自分を変な形の枠に押し込んで
「世間体の奴隷」になっていくのが

良いことだなんて、欠片も思ったことがないんだ。


生きるためには必要だと言うけど
「必要とする世界のが間違えている」のだと思った。


そうでなければ、こんなに病んでる世界を理解することは、できない。



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