リアルに子ども見たことある人なら知ってると思うが
子どもは結構普通にアダルトなコンテンツが大好きであるし
そういうのに興味持てない方が余程不健全。
勿論羞恥心とかあると思うが、その羞恥心はどこから生まれたか?
「教育」である。
好奇心から何気に手を伸ばそうとしたアダルトなものに
手を伸ばそうとした瞬間に「はしたない!」と叱られ
やり場の無い思いをした経験はないだろうか。
そうやって、子どもたちは性的なものを「忌むもの」としていくが
私は未だに「大人が怒るから」「趣向が合わない人が不快がる」以外の理由で、
性的コンテンツを悪者にする理由が思いつきません。
子どもは、母親のお乳をつかんで育つ。
抱かれ、撫でられ、キスをされて育つ。
そういった健全なスキンシップの延長線上に
セックスというものだって、存在していると思う。
故に、子どもが性的なものに興味を抱かない方が、余程不健全に思うのだ。
#「えっちなのはだめなんだよー」とか言うのはまた別ね。
#あれも、教育で、それこそ健全な羞恥心。
#そじゃなくて、ダンマリになっちゃうパターン。
#逃げるというか、避けちゃうパターンのことね。
そんなことがあるとしたら、虐待でも受けているんじゃないかとか、
ヒステリックな大人に抑圧されているんじゃないかって疑ってしまう。
勿論、子どもたちは知識がない時点では性について何もわかっていない。
だから、興味を持ったときに、それが変な方に行かないよう、
変な方ってのは決して性癖がどういう形かとかいう話ではなく
「誰か」を、「自分」を傷つけてしまわないように、
性について「教える」或いは「考える」必要があるのだと思う。
それが「性教育」ってもんじゃないのだろうか。
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話を「幻想」という部分に戻そう。
子どもの頃、男どもがスカートめくりしたり
猥褻な言葉をわめき散らしたりする光景は、
当たり前ではなかっただろうか?
確かに、ああいうのは女のこっちとしては大変不愉快だ。それは間違えない。
だが、相手が不快に思うことをやってはいけません。というのも
立派な「性教育」の一環ではなかろうか?
案外ね、そういったベーシックなことすら
教育をすっ飛ばされていたような気がしてならねんだよな。
子ども同士のことだから、みたいな感じでさ。
そういうところでしっかり「教育」をせずに
「はしたない」という言葉で自然な欲求を
ただ切り捨ててしまうのはどうなの。と思うのよ。
それって普通に、ものすんごく傷つかね?
そうやって置いていかれた子どもたちの心、
例えば、そういうのを見て、大人の顔色をうかがうようになり
自分の素直な感情を露見出来なくなったりすることとか、
振り返ったとき。自分らが子どもだった頃に、
そうやって、私らは感情を殺して来やしなかっただろうか?
私は嫌だった。そういうのっておかしいと思った。
そうやって、自分を変な形の枠に押し込んで
「世間体の奴隷」になっていくのが
良いことだなんて、欠片も思ったことがないんだ。
生きるためには必要だと言うけど
「必要とする世界のが間違えている」のだと思った。
そうでなければ、こんなに病んでる世界を理解することは、できない。