今、色々な感情というか、考えなければいけない「感情」についてのことが
あるのだけど、忙しさとかにかまけてどんどん押し流されていく。
なので、忘れてしまわないように、書き留めてみる。あとで、必要に応じ考える。
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今、色々な感情というか、考えなければいけない「感情」についてのことが
あるのだけど、忙しさとかにかまけてどんどん押し流されていく。
なので、忘れてしまわないように、書き留めてみる。あとで、必要に応じ考える。
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昨年11/16 友達が大阪で、水死体で発見されました。
後頭部や首に、自力では付けられないような傷があったり
自宅内部が「指紋が検出されないほど綺麗にされていた」など
不審な点が多いのに、自殺として片付けられようとしています。
詳しくは、こちらに掲載の動画を御覧ください。
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同じ町内に住んでいて、幼稚園から中学まで同じ幼稚園~学校で
親の職業が似ていたので、そういった意味でも近く感じていて
学校で、私がトラブルに巻き込まれたりしても
大変だね、とは言うけどそれ以上に態度を変えない
(私が目立つからと言って避けるようなことはしない)
数少ない、友達と言える人。
中学を出てから、連絡はしていなかったが
その友達が、昨年大阪で亡くなっていた。
リアルに子ども見たことある人なら知ってると思うが
子どもは結構普通にアダルトなコンテンツが大好きであるし
そういうのに興味持てない方が余程不健全。
勿論羞恥心とかあると思うが、その羞恥心はどこから生まれたか?
「教育」である。
好奇心から何気に手を伸ばそうとしたアダルトなものに
手を伸ばそうとした瞬間に「はしたない!」と叱られ
やり場の無い思いをした経験はないだろうか。
そうやって、子どもたちは性的なものを「忌むもの」としていくが
私は未だに「大人が怒るから」「趣向が合わない人が不快がる」以外の理由で、
性的コンテンツを悪者にする理由が思いつきません。
子どもは、母親のお乳をつかんで育つ。
抱かれ、撫でられ、キスをされて育つ。
そういった健全なスキンシップの延長線上に
セックスというものだって、存在していると思う。
故に、子どもが性的なものに興味を抱かない方が、余程不健全に思うのだ。
#「えっちなのはだめなんだよー」とか言うのはまた別ね。
#あれも、教育で、それこそ健全な羞恥心。
#そじゃなくて、ダンマリになっちゃうパターン。
#逃げるというか、避けちゃうパターンのことね。
そんなことがあるとしたら、虐待でも受けているんじゃないかとか、
ヒステリックな大人に抑圧されているんじゃないかって疑ってしまう。
勿論、子どもたちは知識がない時点では性について何もわかっていない。
だから、興味を持ったときに、それが変な方に行かないよう、
変な方ってのは決して性癖がどういう形かとかいう話ではなく
「誰か」を、「自分」を傷つけてしまわないように、
性について「教える」或いは「考える」必要があるのだと思う。
それが「性教育」ってもんじゃないのだろうか。
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話を「幻想」という部分に戻そう。
子どもの頃、男どもがスカートめくりしたり
猥褻な言葉をわめき散らしたりする光景は、
当たり前ではなかっただろうか?
確かに、ああいうのは女のこっちとしては大変不愉快だ。それは間違えない。
だが、相手が不快に思うことをやってはいけません。というのも
立派な「性教育」の一環ではなかろうか?
案外ね、そういったベーシックなことすら
教育をすっ飛ばされていたような気がしてならねんだよな。
子ども同士のことだから、みたいな感じでさ。
そういうところでしっかり「教育」をせずに
「はしたない」という言葉で自然な欲求を
ただ切り捨ててしまうのはどうなの。と思うのよ。
それって普通に、ものすんごく傷つかね?
そうやって置いていかれた子どもたちの心、
例えば、そういうのを見て、大人の顔色をうかがうようになり
自分の素直な感情を露見出来なくなったりすることとか、
振り返ったとき。自分らが子どもだった頃に、
そうやって、私らは感情を殺して来やしなかっただろうか?
私は嫌だった。そういうのっておかしいと思った。
そうやって、自分を変な形の枠に押し込んで
「世間体の奴隷」になっていくのが
良いことだなんて、欠片も思ったことがないんだ。
生きるためには必要だと言うけど
「必要とする世界のが間違えている」のだと思った。
そうでなければ、こんなに病んでる世界を理解することは、できない。
性差別・性犯罪について書くときURLを晒していますが
(他にも色々書いているため)一部、まとめてみました。※最上部に表示させるため、未来の日付にしています。していました。
・・・この話題だけ、ブログを別にしようかなぁ?
とも思いましたが、まあ、取り急ぎ。全部じゃないけど。
→これだけ2009年6月の記事。年末の差別騒動とは全然別に書いたもので、
純粋に、性犯罪と性差別の体験や考察を書いている記事。言うなれば原点。
性犯罪に対する認識について、狂ってるなぁと思ったことを
時系列順に、自分がどうして今の考えに至ったのかも添えて書いたもの。
→男性や長いものに媚びることがデフォの女集団について。
→なんでこの人達、差別だ差別だと騒いでるんだろう、という考察。
→モテないことを顔やお金のせいにしている、全ての男性に読んで欲しい記事。
→性的コンテンツを社会から駆除すれば性犯罪はなくなる、という意見に対するカウンター
→これだから自分はフェミニストですと決して言えないんだよな、という話の一端
→被害者が加害者に対してしている差別
→啓蒙と差別をどうして同一線上に持ってくるのかわからん、って話
→差別者を力で黙らせるのだって数の暴力(或いは差別的)だって話
→自分を奴隷化している人に差別止めろって言うのは歴史的に考えて難しいって話
→差別は利権が絡むから、その影響下にある人に相談すると
利権に巻き込まれるからやめとけ、って話
→差別をしない聖人になろうなんてところで思考停止すると
社会的な問題がどんどん大きくなっていきますよ、って話
ここは、ほぼ読む意味ないです
私はこういう風に解釈した、ってだけの話
→被害者を悪者にした方が都合がよい人たちの話
→差別だと騒ぐ方も、差別者を貶めるために屁理屈をこねている。
教育とか宗教観とかを孕んだ話。性差別と関係ない記事も含む。
→人は平等じゃない。だけど人権は平等に与えられる。って話
→平たく言うと、因果応報の話。
→因果応報とか書いたので、この記事も引っ張り出しておく。
歴史を見るに、教育を語るには宗教は外せないと思ってるのだが、
今の日本の巷で言う宗教ってなんか違うんだよねー、ってことで、
自分で勉強したり医者とか宗教研究家とか色々な人の話を聞いて歩いて
たどり着いた「私が一番納得した宗教観」、の一端。
大変お恥ずかしいことながら、メガン法って名前はさっき知った。
骨髄反射している人の騒ぎ方から、犯罪者を法的に晒す話なんだろうなぁ、
とは思ったが、wikiを読む限りではそんな簡単な話じゃないみたいだね。
某州では、同意の上での同性愛者までもが対象であるとか、相当ややこしい話のようだ。
これは、アメリカや特定の宗教圏における別の差別が
たーっくさん含まれているので、メガン法自体には触れないでおく。
#とは言え、こういった事例がある故に、骨髄反射する人が出てくるんだろうとも思うけど。
ここでは、日本国内で性犯罪者を晒すことの是非についてだけ、私見を書きたいと思う。
あくまでも、日本限定ね。