自叙の最近のブログ記事

正体見たり、ってやつだなこれ

コメント:

先日、じーさんの弟さんが亡くなった。


じーさんの奥さんも、じーさんの弟さんの奥さんも
苦労をして、早く亡くなってしまったので
じーさんが亡くなった時、弟さんはとても寂しがって

早くあっちにいきたい、と思っているような節があったが
静かに天命を全うする形で、あちら側に行けて
きっと本人は、すごく喜んでいるのだろうなぁなんて妄想をした。


#あ、別にこれは幽霊の話じゃねっすよ。

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黒い海

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なぜ私が金持ちで自分は特別。と思ってるヤツが嫌いなのか。

実は、見下した話し方をするとか鼻持ちならんとか、そーいう話ではない。
むしろ彼らは「対面的には」大変親切で、私はとても愛され可愛がられていたし
なんてゆか、すんげーお世話になった。


しかしそれが、ハリボテなんじゃねーか?という疑わしさを感じたことに起因し、
彼らが(私の知らないところで)とんでもねーことを言ったという事実に

もう二度とこいつらと付き合いたくない。

幼い頃あんなに楽しく無邪気に楽しく遊んでもらったのに
もうあの日は戻らないんだ。幻想だったんだ。

という、こちらから一方的なレッテルを張り、勝手に泣いて終わらせただけの
とってもくだらないお話。


幼い頃遊んだ時間を懐かしんでも、それでも、
私は彼らをもう許すことが出来る自信がないのだ。


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形にはこだわらない

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私は常に「便宜上のやりたいこと」を暫定的に持っている。

それは長期的だったり短期的だったりして

本当に必要であれば嫌でもやらなくちゃならんが
本当に必要でもやらなくて痛い目を見ることもある。

好きなことならさっさと終わらせたりするが、
大事にしすぎてタイミングを逃すこともある。


が、暫定で持っていることには、それなりに意味がある。
そして、それらは私の中では、5年後、10年後、20年後・・・或いは
死ぬ時か死んだ後かってところまで、全部一本の線で結ばれている。


ただ、分岐はたくさんある。

出会った人や情報により選択肢が増えたり減ったり、
場合によっては「更新」されたり、という感じもある。

勿論、予想だにしないことが起こることもある。


しかし、なんていうか自分の中の軸ってのは、ぶれない。

表面的にはものすっごく「変わった」とは思うんだが、ずっと軸はぶれてない。

基本的にはその軸をしっかりしたものに育てることが私の人生の中心で
だがしかし枝葉の部分をどうするかで人生が決まる、みたいな。


でまあ。

文頭に戻るのだけど「便宜上のやりたいこと」ってのがですね。


私のやりたいことってのは、「他人中心」なんですよ。

いや、人以外も含むな。外界に存在するものが中心。


何故なら、私を構成するものが外にあるから。

仕事をするにしても、依頼者が居て、その人に選んでもらっての仕事だし
ごはん食べるにしても、食べるものがあってそれを手に入れることが出来てのごはんだし
服を着るにしても、服があってそれを手に入れることが出来ての服だし

それら、外にあるものを取り込んで、「私」というものは、出来ているわけですよ。


とにかく必ず「他」というものが、私の概念に入っているのだ。


しかし勿論「それを選ぶ自分」というものが抜けることもほぼない。
#たまに見落とすがそれはご愛嬌(ぇ←外に対しても同じだが


だから「外と自分の対話で世界が成り立っている」と言うのが正しい。


・・・いや、実際全ての人がそうであるはずなんだが、

#勿論、みんな黙ってるだけかもしれないけど、あまり聞いたことない。
#結構近親憎悪の気がある人なので、無意識に避けてる可能性はあるが、


私のやりたいことってのは、私一人じゃ絶対に完結しない。

という意識が多分、私は強い方だと感じている。


で、まあ、こんなだから


「便宜上のやりたいこと」しか、設定出来ないんですよ。

どうしてもやりたいことなんていうものは、ない。

そんなものを思う時は「我」が出てる時だもの。


我は、人を不幸にする。自分も他人もだ。だから我っていうのは忌避対象。


我は、私には必要ない。「我」ではなくて「軸」が、私を構成する中心であり、
その「軸の上」にあるものであれば、どんなものでも厭わない。


軸の上にあるもの全てが私のやりたいことなのです。


・・・で、


そうは言ってもその「軸」ってのは人からは見えないので(汗


軸を装飾する枝葉をね。どうするかって考えなければいけないんですよ
軸を理解してもらうためにどうするか、ってことをね。


結構、私の人生はそれ(表現)に対するトライ&エラーの繰り返しだったりします。

性とかいてサガと読む

コメント:

昨日、メタブでこんなことを書いた。


私少女漫画でもBLでもさぶ(雑誌)でもスカトロでも、仕事や喧嘩相手も
オナニネタに出来る自信あるわ。

しないけど。

好きな人とはお互い幸せならいたすわけだが、男女いずれも
人生かけた何かを交換する感覚。


・・・会社で書くよーなことじゃないよなとか思いつつ(苦笑


別に自分が節操なしですと宣言したいわけじゃなくて
#そう受け取ってくれても別に構わんが

所詮脳内のことなんざリアルと関係ねーだろが、ってことを言いたかった。


「リアルに性交する」ってことは、全然違うし、
そもそもオナニーの延長線上に性交が存在するとしたら、
それは相手を性欲処理の道具として使うことでしかなく、

そんなのはリアル性交でもなんでもねーよ、ってことを言いたかったわけです。


100文字じゃ全然書ききれませんでしたが。


だって所詮、私のは「リアル性交」という経験上での発言だから、
そこに踏み切れずにいる人達に、この言葉だけじゃ多分伝わらない。


例えリアルな相手が目の前に居たって、相手と同じ感覚を共有出来なければ
触れていても、すごくすごく遠くにいるようなもんなんだよ、ってことを

人と触れ合うことを、真剣に避けている人に対して
どうやって伝えることが出来るというのだろうか。


例えリアルな相手が目の前に居たって、相手を道具として扱うなら
それは二次元がオナホ使うことに進化した程度で、

リアル性交をしていることとは、多分、全然違うんだよ。ってことを、

どうやって、伝えることが出来るというのだろうか。



そもそも、私が抱いた絶望を、他の人が同じように抱くなんて限らないのに。


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また、こんな増田もチェックだけしておいた。

同性愛を変態と呼ぶのが差別ならスカトロを変態と呼ぶのも差別なのか。

というか、会社でこの画面を開いて真剣に考察→100文字でまとめられる
自信がなかっただけなんだが。

仮に骨髄反射するにしても、考えがまとまらん状態で
自分の感想だけ垂れ流して良いよーなお話ではないと思ったので、
ブコメには「後でもいちど考える。」と書いておいた次第。

でまあ、どうせ考えるなら、まずは自分自身の「性」について
だらだら書いてみようと思います。

この記事はほんと、自分のことをただだらだら書くだけで
「~~は差別なのか」については、別に記事を立てます。

#あ、いや、大したことは書けませんけどね。他人事ではないので・・・


尚、オナネタ候補のレパートリーを見て頂いてもわかるよう、
私の性の話はものごっつすげー広範囲に渡っているように思うので、

人によっては不快に感じるだろう

全てを「私」という人物1人が実際に体験して考えてきたことである、
という意味で考えると、結構笑えない話だよな、と思ったりもしますので
#てゆか私は全然笑えない

基本的には毎度ながら、この記事の続きを読んでどんな感情を抱かれたとしても、
当方は一切責任を持ちません。

ほんと、不愉快な話を多分に含んでおりますよ?

てことで、ここから先は「自己責任」でお願いいたします。


怖いのは仕方ないね

コメント:

壊せないと怖い。ってのは、とても哀しいことだと思うが。

別に、壊せても壊せなくても、怖いってこと自体が、本当は哀しいんです。

しかし、哀しさからどうやって脱するかとかいうのは
その人次第だし、もしかしたら脱するのこそが怖いかもしれないので、


大切な人だったら、ちょっと離れたところにずっといようかな。と思うけど。
まあ、たまたますれ違っちゃうだけのことに、意識も時間も割いてられないのが現実で。


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私がバイセクシャルでありながら、女性に落ち着かなかったのかは案外明白で。
私が好きになる人は、全員結婚して子ども産んでるんだな。

よするに「ノンケの女性」を好きになっちゃうのである。故に、成就せんw

更に性質が悪いことに(ってことにしといてくれ)
好きになってくれる人も、普通の女性が多い。

で、あるぶっ壊れた女性の話を書いてみようと思う。

あの時の、なんてゆーか、虚無感とかどーにもならん。って気持ちは
なんかもう、私には女性を愛しきれないな。と結論付けるに十分だった。


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