自叙: 2010年5月アーカイブ

形にはこだわらない

コメント:

私は常に「便宜上のやりたいこと」を暫定的に持っている。

それは長期的だったり短期的だったりして

本当に必要であれば嫌でもやらなくちゃならんが
本当に必要でもやらなくて痛い目を見ることもある。

好きなことならさっさと終わらせたりするが、
大事にしすぎてタイミングを逃すこともある。


が、暫定で持っていることには、それなりに意味がある。
そして、それらは私の中では、5年後、10年後、20年後・・・或いは
死ぬ時か死んだ後かってところまで、全部一本の線で結ばれている。


ただ、分岐はたくさんある。

出会った人や情報により選択肢が増えたり減ったり、
場合によっては「更新」されたり、という感じもある。

勿論、予想だにしないことが起こることもある。


しかし、なんていうか自分の中の軸ってのは、ぶれない。

表面的にはものすっごく「変わった」とは思うんだが、ずっと軸はぶれてない。

基本的にはその軸をしっかりしたものに育てることが私の人生の中心で
だがしかし枝葉の部分をどうするかで人生が決まる、みたいな。


でまあ。

文頭に戻るのだけど「便宜上のやりたいこと」ってのがですね。


私のやりたいことってのは、「他人中心」なんですよ。

いや、人以外も含むな。外界に存在するものが中心。


何故なら、私を構成するものが外にあるから。

仕事をするにしても、依頼者が居て、その人に選んでもらっての仕事だし
ごはん食べるにしても、食べるものがあってそれを手に入れることが出来てのごはんだし
服を着るにしても、服があってそれを手に入れることが出来ての服だし

それら、外にあるものを取り込んで、「私」というものは、出来ているわけですよ。


とにかく必ず「他」というものが、私の概念に入っているのだ。


しかし勿論「それを選ぶ自分」というものが抜けることもほぼない。
#たまに見落とすがそれはご愛嬌(ぇ←外に対しても同じだが


だから「外と自分の対話で世界が成り立っている」と言うのが正しい。


・・・いや、実際全ての人がそうであるはずなんだが、

#勿論、みんな黙ってるだけかもしれないけど、あまり聞いたことない。
#結構近親憎悪の気がある人なので、無意識に避けてる可能性はあるが、


私のやりたいことってのは、私一人じゃ絶対に完結しない。

という意識が多分、私は強い方だと感じている。


で、まあ、こんなだから


「便宜上のやりたいこと」しか、設定出来ないんですよ。

どうしてもやりたいことなんていうものは、ない。

そんなものを思う時は「我」が出てる時だもの。


我は、人を不幸にする。自分も他人もだ。だから我っていうのは忌避対象。


我は、私には必要ない。「我」ではなくて「軸」が、私を構成する中心であり、
その「軸の上」にあるものであれば、どんなものでも厭わない。


軸の上にあるもの全てが私のやりたいことなのです。


・・・で、


そうは言ってもその「軸」ってのは人からは見えないので(汗


軸を装飾する枝葉をね。どうするかって考えなければいけないんですよ
軸を理解してもらうためにどうするか、ってことをね。


結構、私の人生はそれ(表現)に対するトライ&エラーの繰り返しだったりします。

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